goodluck+

重度脳血管疾患を経験済み。障害者手帳1級1種持ち。左手カメラで散策する、お花畑ブロガー

ネーサン滞在記( ゚д゚ )

221101

無事にネーサンを送り出しました。おつかれワタシ(ヽ´ω`) 疲れはしたけど、その分、とても楽しい思いをしたのも事実なんです。前回からほぼ三ヶ月も開けてしまったので読む人は皆無かもしれませんけど、ぼちぼちと書いていこうと思います。自分の中で文章を書くことは言葉のトレーニングにもなりますので。それではやっていきましょう!


そうはいっても色々ありすぎて、思い出しながら書くことはほぼ不可能な状態…。もったいないね。覚えてることといえば、ネーサンが帰国できなくなった、私がコロナにかかったこととかが強く残っていまして、5帖半の同棲日記とかは間違っても書きませんのでご心配なく\(^o^)/ まー、どうしてこうなったのか、くらいは書き残そうかと。


もともと7月に海外に戻る予定だったネーサン。実際に帰る日も有休とってお見送りのため羽田に向かいました。夜の便だったので夕方には別れの予定でした。終わったなーと、今回は沢山楽しいことできたかなって。達成感はありました(前回参照)。空港に到着して早めのチェックインの手続きを始めるのですが…。しばらく離れたところで見ていると。


なんかすんなり行かずにネーサンとスタッフが何やら揉めている。近づいてどーした? と聞くと、お客様のパスポートでは戻ることができませんって言われたらしい。私には会話の理解は全くできずお手上げ状態。海外旅行だけならまだしも、働いてる人のことなんてわかるわけもない。じゃー、どうすれば行けるようになるの? と聞くと行けないとだけ。


ネーサンに聞くと、日本に戻る前に事前に弁護士に相談。一年ごとに更新する就労ビザの期限が残り一ヶ月後だったらしく、行って問題ないか確認済みだったらしいのです。しかも新しく届くビザも本国の移民局から申請が通ってOKとメールも来てたらしいの。だから武装理論は完璧なはずだったのよ。絶対に帰れると信じ切っていたわけです。


でも現実は甘くなかった。次から次へとやってくるグランドスタッフも上位互換され、窮地に立たされていくネーサン…。そこで私がポロッとこぼした言葉。「その弁護士信用できねーんじゃねーの」って言ったら、キレ気味にそんなはずないと怒られた(^_^;) でも出発時刻は迫ってくる。無理じゃね。この書類で行けるはずと食い下がるネーサン。


気がつけば、乗る予定だった飛行機は飛び立ち、スタッフさんたちはなんとか戻れる方法探してくれていました。問題だったのは就労ビザが残り一ヶ月では日本から出ることは許されないらしく、新しい次回分の就労ビザも持ってないと駄目だったらしいのです。なので審査も通って通達がメールで来てたとしても現物がなければ無理だったみたい?


正直、ワタシが正しいことを書いているかも怪しい。ちんぷんかんぷんなんだもん。スタッフとネーサンの会話のやり取りも早すぎるし、聞いても全く理解できなかった(T_T) なのでかなりアバウトなことを書いていますので、話半分でよろしくおねがいします。どちらにせよO-1ビザとかあまり聞き慣れないもの持ってるからこーなるんだ…。


観光ビザで戻るとかなんとかそんな話になっていたとき。時間は22時を過ぎ、こりゃ無理だなと、宿の手配を始める私。とりあえず弁護士叩き起こして、どうすればいいか聞きなさいよと…。最後の最後でこれはねーよなー…。ぐったりなワタシ(-_-) 帰国してすぐに泊まったホテルで無事に一部屋キープできた。あとはネーサンがどうするかの問題。


観光で戻るにしても持っていたチケットの払い戻しもできず(手配できないかはスタッフさんが確認してくれていた)。そして夏休み前のチケット代は数倍に跳ね上がっていたし。どちらにせよ無理なんだから宿戻ろうぜというと、NYの弁護士に連絡がついたみたい。流暢な会話をしている(^_^;) そして大きなため息が聞こえた。あ、終わったなと。

会話の内容はわからないけど、ここで完全に諦めたようです(´・ω・`) 聞けば観光ビザで一時的に入れたとしても信用に傷がつくからやめるべきだと。お前が行って大丈夫って言っただろうがーとは言わずに淡々とね。でもなんか知らんが納得はしたようです。弁護士も本人も勘違いしていたところがあったようで…。なんのための弁護士なんだよ…。


遅くまで尽力してくれたJALのグランドスタッフさん達にお礼を言って宿に向かう。やれやれ(ヽ´ω`) 私は次の日が仕事だったので一度自宅戻り、ネーサンは翌日実家(静岡)に帰ることになった。弁護士との話でアメリカ大使館にビザの発給手配を進めてもらうことになりはしたものの、最速でも3ヶ月程度かかるとかかると言われたらしく、翌日事情を話して実家に戻る方向になったわけ。あとは苦手な姉の家(実家)でどれだけ耐られるか。


ワタシはというと、このカラダになってからはじめて0時を回る。シャワーして寝るにしても1時過ぎ。翌日が辛いことに違いはなかったよ。翌日、無事実家についたと連絡が来た。まー一安心だったんだけど、姉の我の強さは半端ないので何日耐えられるか心配でした。多分無理だろうなと昼休みにハーヴェストの予約を取ることにした(^_^;)


案の定、あっという間にストレスマックスになったようです。実家はご両親が亡くなったあと、姉が一人で住めるように建て直していました。新しい家は行ったことはないのですけど、クリニックの入り口と住まいの入り口を分けているようで、大きなスーツケースを置くスペースもなく、ネーサンが与えられたのはリビングの僅かなスペース。


もちろんプライベートはない。ワタシがメッセージでやり取りしてると、誰から!?と聞き出そうとしていたようで…。あまり言いたくはないけど、色々と残念な人なんですよ。三姉妹で仲が良いのは東京に嫁いだ二番目と三番目のネーサン。一番目は自由に育てられたこともあって我が強すぎて、手のつけようがないという(^_^;) 終わってる…。


帰れなかった日が7月5日。就労ビザが未だに発給される気配は全く無い。先の見えない不安とか嫌だろうな。海外で働くっのてほんと大変だよな。業種にもよるのだろうけど。限界が近づきつつあるネーサンをリフレッシュさせるために、またしても熱海に連れ出した。今度は金曜日の仕事終えたその足で熱海で待ち合わせをしたのです。


お互いが一時間位で会える距離が熱海なんです。私は17時半定時で品川駅にダッシュ。19時過ぎに熱海に着きます。そして夕食は大一樓。胡椒麺にした海老そばとのぼせ海老にしゃぶりつきチューチューします(*´∀`*) マジうめーw 食事の後はタクシーでハーヴェスト直行。観光じゃないので。ただ単に温泉でゆっくり休んでもらいたいだけ。



金土日を使った二泊三日のお手軽旅。有休を使わず、会社に迷惑もかけずに旅行って素晴らしい環境だね。しかもリゾートホテルで部屋も広くて良い温泉だし、一泊5千円ちょっとで泊まれるし(*´∀`*) 案の定ストレスがピークだったネーサンをリセットさせることができてよかったよ。長女と末っ子だと、我感半端なくて辛かったようです。昔から。


ゆっくりできたのもつかの間。日曜にそれぞれ帰る予定でした。仕事で使ってたネーサンのMacBook。前から気になってたんだけど、充電されてない。電源ケーブル繋げたままにしないと使えないという、綱渡り的な使い方をしていた。バックアップ取ってある? と聞くとしばらくしてないという。大事な資料とか会社のPCに入ってるでしょ? まさか…。


よくそんなで大丈夫だなというと、こんな長く居るとは思ってなかったし、どうして良いかわからないし、と言う。MacBookはバッテリー交換ができるタイプだったのでひとまず安心。ただしばらく時間がかかるし、Time Machineでバックアップ取っておかないとイカンだろうし…。ちょうどM2のMacBook Airが出てたのでM1の整備品を探し出す。


10万ちょっとで買えそうだから、買ってやると言った。はじめはいいよと言っていたけどバックアップや電源繋げたままの状態でしか使えないことの深刻さを理解したらしく、何かあったら全部消えるとの脅し文句が効いたようで、買う方向で話が進む。整備品の問題が一つ、キートップが日本語で英語じゃない。ネーサンそれは嫌みたい。詰んだなと。


それなら新製品しかないと、アップルストアに在庫があるが電話する。電話してUSキーで在庫があるのはM2のシルバーで10コアGPUならありますとのことだったAirで20万か(T_T) 少し前の一斉値上げが効くな(T_T) 10万でプレゼントだったのだけど20万となるとこの後の状況を考えると心もとなく少し躊躇してると、私買うと言ってきた。


今日のこのあとすぐに買える条件で他に方法ががなければ仕方ない、買うわよと。それならとアップルストアで予約をし、チェックアウトを済ませて、新幹線に乗って銀座にダッシュした。事前にこのあと行くと伝えたにも関わらず、時間予約のことを言われてなかった。店に到着し、お願いしていたものを購入しようとしたら予約時間云々という始末。


おいー、こっちは何も聞かされてねーぞと。キレるおじさん…。30分後に来ていただければ対応できるというので松屋の屋上でうなぎパイをポリポリする\(^o^)/ 30分後ストア店員に注文していた機種を伝えると、在庫が無いと言い出す。ちょっと待てやと睨みつける残念なおじさん…。ちょっとまってくださいねーと、どこかへ消えた店員(~_~メ)


しばらくすると、すみませんありました。無いわけ無いですよねハハハ。こいつ…。こ○しかけたけど、グッとこらえる。アップルの店員ってこんな奴しかいなかったわと。なんだかんだで無事に購入。次に今使ってるMacBookからデータを入れ替えねばならず、一旦、我がオンボロ御殿に向かうことになった。よく考えたら凄いタイトなスケジュール。


MacBookからデータを外付けSSDに吸い出し、新型MacBook Airに移す。このたった一行の工程を2時間? 3時間位かかったかな。一通り動作を確認。新型早すぎて笑うしかなかった。非常に喜んでいました。そして品川駅に猛ダッシュ。姉が遅くなると不機嫌になるようで、急いで帰ることになった。ビザが発給されるまでの我慢だから仕方ないと。

思ってた以上に覚えてました。記憶力が無い代わりに写真を撮ったことで思い出すこともある。写真データの日付とカレンダー照らし合わせてどのような行動を取っていたのか、などなど。記憶力の代替をしまくればなんとか書けます。今回はここまで。コロナまで書きたかったけど、長くなりすぎた。次回は死にかけたおじさんの話です。多分\(^o^)/

完璧なエスコート!! だったのに…。

220801

5月下旬、久方ぶりにネーサンが帰国した。今回は終活というか今後のこと、実家や田舎のことや自分の預かってもらっている荷物の整理や処分をどうするか、みたいな話を姉妹で話し合いをするとのことだった。なので私は帰国時と戻るときの時間を一緒に過ごすことができたわけなんです。5月下旬っていつの話??? 覚えてないよ。困ったね(^_^;)


そーはいっても、帰国した時点で少ない時間ながらも会えるわけで非常に嬉しいんだよね。ただ、突然5月末と言われたので少々驚いた。コチラとしては向かい入れる体制が少々心もとない。とはいえ引越し費用を削ればなんとかなるかなーと。ボーナスもあるしね(実際助かった) 今回はボロアパートには来ずホテルで宿泊できるようにしたかった。


5月までは私と一緒にホテル、6月入って実家&田舎&話し合い、7月の誕生日を祝って海外へ戻る感じだった。来る前はコロナにビビり、どこにも行けないとほざいていた。予定が組めないじゃんか(^_^;) 海外に比べたら日本は衛生面でかなり高いレベルだから心配ないよと説得して、一通り行ける場所などを確保、そして予約をしまくった\(^o^)/


以前、親戚の家に遊びに行く際に利用した東急ハーベスト(会員制ホテル)、有給を利用して平日の熱海伊豆山を予約してもらう。日本に帰ったら温泉行きたいと言っていたので。本当はもっと別のとこがいいかなと思っていたけど、急な話だったこともあって距離的に中間になる熱海にしたわけ。リゾートホテルで一泊5400円は驚異ですわ(*´∀`*)


会社の福利厚生に感謝ですな。まじで。6月末の3日間、二泊三日でのんびりと行ってきました。観光はしないでひたすら温泉入ってのんびりしましょって。正直言って最高でしたね。熱海。観光はほとんどしませんでしたけど、ホテルの窓からの景色で十分。海が綺麗でした。たたこのホテルの欠点というか、食事が宿代より高いというね…。外行くわw


初日はお昼に熱海で合流してそのまま食事先へタクシー使って急行。向かった先は「大一楼」という老舗の中華料理屋。熱海の観光客が行きそうな場所は完全にスルー。海鮮とか胡散臭いのばかりなので駅前の商店街とか歩くことすらなかった。ここの揚ワンタンと、のぼせ海老が目当て。案の定大当たりでした。ミソちゅーちゅーしまくって昇天したw


そして予想外だったのが、海老そばの麺を胡椒麺に変えたこと。どストライク過ぎてむせた(*´∀`*) 観光だからと思い出補正してんじゃね? と思われるかもしれないが町中華として近所にあったら通うレベル。このあと長州さんと蝶野さんが二人で食べに来てた。蝶野さん、美味しそうに食べてたな。長州さんの奥様がお気に入りの店のようです。


ただ揚ワンタン、美味しすぎて食べすぎると夕飯食べられなくなります…。夜キャンセルしたもの(^_^;) あぁ、でもまた食べ行きたいな…。熱海はここだけでいいや。他にも美味しいものはあるだろうけど、とりあえず行けるときはまずここだなって感じ。時間が閉まるのがちょっと早いんだよね。もし行く人がいれば時間に注意していただきたい。


二日目は駅ビルに入っていた観光案内所に置いてあった「富嶽三十六景東海道五十三次」の展示が行われていたMOA美術館と、せっかくだからとお宮の松を見に行くことに。MOA美術館、7基のエスカレーター乗って上まで行かないと見れないとかちょっと面白い。よくこんなとこに建てたよなと思うわ。ねーさんは仕事柄熱心に鑑賞してましたね。



このカラダになると、展示会などゆっくり回ってみるのが苦手。歩行が辛いのよ…。立ったまま動かないのが苦痛、歩き出したらずーっと歩いていたい。立ち止まって歩いての繰り返しだとね。たとえ興味のあったものだとしても軽く流して出口、もしくはベンチを探して休憩してしまう。腰掛けられるステッキが本気で欲しくなったよ(´・ω・`)


帰りはロビーで無料送迎を依頼して下の入り口まで戻り、一旦熱海駅までバスで戻る。そこから別のバス乗ってお宮の松へ。付き合ってた当時(20年近く前)に花火や梅園を見に来てました。その時以来かな金色夜叉。貫一が悪者に見えるけど裏切ったお宮がゴミだったって話。ダイヤモンドに目が眩んだそうな。まー、今でもありそうな話だね…。


当日は激アツ、熱い海ってレベルじゃなくて一歩間違えると死…。なんでそんな日にホテル出たんだよ…。アホですね。そのままタクシー乗ってホテルまで帰ってきました。16時に家族風呂を予約してましたので。東急ハーベストは障害者手帳の提示で家族風呂、通常3300円が無料になります。源泉掛け流しの個室風呂、障害者がゆっくり安全に入れます。


まだ16時台で日は燦々と照りつけています。ホテルの最上階の露天風呂だとどうなるか…。開放感に感動して全裸で一歩踏み出すと…。ジューっと音が聞こえたくらい…。絶叫!!! 熱いのよ(T_T) シャワーで冷水かけまくって床を冷やし、やっと入ることができた(T_T) 入ったらもう最高なんだけどさ。ただ出るときに熱くなってたらどうしよう…。流石にそれは怖かったので内風呂と露天風呂で別れて入ることにした(´・ω・`)

夜は熱海銀座まで行って海鮮のお店に行きましたが、ちょっと残念な感じ。お刺身もいまいちだったし狙ってた海鮮チヂミやアジフライも普通…。ちょっとがっかりだった。また行っちゃう大一樓? って思ったくらい。やっぱ難しいね、観光地って。情報はたくさんあるけどどれ(誰)を信じるかで大きく変わってしまう。今回はそれが外れただけだ。残念。


最終日も朝風呂入って11時のチェックアウトまでもう一度温泉へ。極楽でしたわ(*´∀`*) その後は東京に二人で戻り誕生日までしばらくホテル住まい。誕生日を祝ってさようならというコース。一ヶ月待ちでギリギリ予約できたお寿司さんへ向かう。熱海の海鮮信じないで地元?の寿司屋を信じるとかアホなの? まー大将の腕は本物でしたよ。


贅沢させまくって帰らせるつもりでした。大将のおまかせコースでお腹が一杯になるまで食べた(*´∀`*) リーズナブルながら、創意工夫が施された寿司はどれも絶品でした。幸せな時間。キンメの握りも美味しかったし、のどくろの握りもヤバすぎたw すべてひと手間かけてあり、醤油を使うこともなく、とても美味しく食べることができました。


いよいよ最後のお別れの日となった。品川駅のロッカーにスーツケースを預けて浅草橋へ向かいます。そうです、最後はうなぎを食べて帰ってもらうことにしました。今回は白焼きも追加、肝焼きもお願いしたけど前日が定休日だったため肝がないとのことだった。残念…。でも特上食べて昇天しましたわw 帰りに隅田川スカイツリーを見て帰ろうと。

飛行機まで全然時間があったのでせっかくだから行こうか?と。私には行ったら駄目(過去に転倒)というのに自分のときはいいのかよと(^_^;) ソラマチでお土産を探しながらふらつく。来たんだから上行く? とか言い出す私。真性の高度恐怖症の持ち主の言葉を聞いて笑い出す。ていうか一人じゃ絶対無理だし、思い出つくりに行こうぜ!となった。


そして上に着いたもののガラスの方へ近づけず…。二人でも無理。ねーさんは我関せずと写真を撮りまくっている。私は遠くを見て冷静になろうとするも足がすくみ、一歩踏み出すのも恐ろしく、揺れているわけでもないのに怯えている。中心側の壁によりかかりなんとか移動ができた。本気で嫌いなんだわ。真下が見えるのだけは無理。絶対に無理(T_T) よくラスベガスのビッグ・ショットに乗ったよな。地獄のフリーフォールだったわ(T_T)

フロアを降りるのにエスカレーターもあったけど、そこから見える景色が恐怖だったので無理と泣きつき、普通のエレベーターで帰ってきた。しばらく放心状態。とはいえ、いい思い出にはなったに違いない。喜んでたし。あとは見送るだけ。ちょっとさみしいけどね。いい誕生日になるはずでした…。でもね。そーならなかったんだ。最悪の誕生日!?


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という流れでエスコートは完璧だった。最後のお別れの日に問題が起きたのです。トラブル発生。今現在もネーサンと一緒にいます。そしてまさかのコロナ陽性者(;´Д`) まー私だけね…。続きは近いうちにアップできるようにがんばりますが、気力が持つかちょっと心配。現在ツイッターは休止中でございます。もうしばらくお待ち下さいm(__)m

220814

見逃していいものなんて無い💢

220601

暑い日なのか寒い日なのかもよくわからず、出社時の服装にちょいちょいアタリハズレの日々を送っております。皆様お元気ですか? 私は相変わらず気圧と自律神経バランスに苦しみながらもなんとか生存しとります。毎年この時期は必ずカラダに不調をきたす傾向で過去のblogを読むと救急外来のお世話になってたりします。虚弱体質化待ったなし…。


さて、まーそんな不調に耐えつつも、ただ我慢をするだけなのもそろそろ限界を感じているお年頃のおじいちゃん…。節目の10年が経ったという事もあって、色々変えていこうかと思ってみたり。色々と言っても主に医療関係ですけどね。長い年月お世話になっていると、嫌なところが見えてきたりするもんです。それでも当時は良い医者に出会えたとね。


正直、見ないように目をつぶってた節もあるんですわ。とりあえず自分に対しては害を与えないドクターだからねと。ただ昨年くらいから不信感が募るようになったんです。少し前(2019年12月)に逆流性食道炎になり入院することになった。そのときに脳も一緒にCTが撮られていた。そして昨年の5月、めまいが酷く同じ病院でCTを撮ることになった。


CTを撮り終え、点滴が終わったら帰されるパターンと思っていたらやけに時間がかかる。なにか嫌な感じ。ドクターが来てひーるさんMRI撮りますよと。何が始まったんだとプチパニックしたのを覚えてる。MRIを撮り終えドクターが「ひーるさん、ここに梗塞があります。以前(逆流性時)はなかったのですが…」正直驚きました。毎年かかりつけ医で撮って頂いてました。梗塞があるなど一度も言われたことがなかったので驚いてますと…。


すぐさま、かかりつけ医に報告しに行く。週末、調子崩して休日診察のある病院で診てもらったと。流れでCT、MRIと撮って行くと、脳幹に梗塞が出来てると言われました。どーなってるんですか? と。直近のMRIを見て、かかりつけ医は心配するほどのことではないから大丈夫、経年変化みたいなも的なことを言っていた。私はそうですかと少し安心…。

220602

ただ、この時から信用できねーなこいつと変わりました。ただ他探すのもスゲー労力使うし、他では良くしてくれたことのある医者でもあったので、仕方なく通っていました。そしてこの間の足攣り事件。長年苦しんでいるのに私が薬を疑ったにも関わらず、ネットの情報を鵜呑みにするなと言われ、それなら大学病院で原因を探るとプチギレし(´・ω・`)


大学病院で処方された薬が功を奏し(99%攣らなくった)、今度はその薬が増えたことで嫌味を言われ完全に心が離れてしまった。自分に”害を及ぼすドクター”として認定されました。毎年MRI撮ってて、脳幹の梗塞を見逃すとかさ、マジありえない。気が付かなかったでは済まされない。早急に探さないといかんと。それからは暇さえあればネットで検索。


そんな時、会社の近所に1、2年くらい前にできたビルがあって、その中に脳外科クリニックが入っていた。あまり興味を示さなかったのですけど、ホームページがあったので見てみたらとんでもない経歴のドクターだった。ブルーインパスが都内で飛行したルートの一つにあった某病院で長年、脳卒中センター医長だった人でした。レビューも高評価!


職場の近所だし、最高じゃんとなったわけ。で、初診の申込みをするために帰宅ついでに寄ることに。ビル自体は新しくクリニック自体もきれい。だけど患者がいない…。あれ? そんなわけ無いだろうと、受付で初診の予約に来ましたと伝えると。初診だと2週間近く待ちになると言われ、驚きつつもお願いしますと、名前と電話番号を伝えて帰ってきた。


そして先週末にやっと初診。自宅からクリニックまでの所要時間を伝えており、時間がが近づいたときに連絡が来るシステム。すでに夕方の17時以降と聞いていたのでゆっくり待つことにした。結局連絡が来たのは16時半。クリニックに到着したのが17時半。そこから更に30分待って、18時にやっと診察。アクが強めと思ったけど全然そんなこともなく、会話がしやすい。媚びる感じもないし、もちろん高圧的でもない(・∀・)アタリだ。


早速、身の上話が始まった。かかりつけ医は居るけど、最近不信感があり、こちらで年一くらいで確認してもらえると嬉しいと話した。それ以外にかかりつけ医との会話のやり取りなどもなるべく具体的に話そうと努力はした。うまく伝わったかはわかりませんが。一番の要因である脳梗塞に見逃しの件を話したものの、それはないよと言われてしまった。

220603

まぁ、同じ脳外科医だからそれはないよという話しだった。残念なことに持参したメモリーカードMRIの画像をお見せできなかったのが悔やまれる。それとは別に足攣って苦労してたこと、自律神経で苦しみ漢方でしのいでいる話になったときは脳外科の範疇を超えていてわからなかったはずと。でもわからないならわからないで素直に言うべきだよ。


わからないから紹介状書くのでどこそこへ行ってとか、言ってほしかったわ。結局自分から紹介状書かせて大学病院へ行き、処方されたミオナールで改善、効果があったとかおかしいでしょ…。漢方に至っては自分で調べた五苓散が効いてるし、めまいで検査した時に大学病院で処方された苓桂朮甘湯知らないとかさ、よく漢方治療を謳ってますよね(-_-;)


最近は内科優先で脳外科の診療が疎かになってるんじゃないのかね。通い始めに頃は、脳外科がメインで患者もそっち系ばかりだったんだよ。片麻痺の人もよく見かけたもんな。今じゃね。都合が良かったので通ってるって感じでしたから。それで定期的にMRIを撮りしっかり管理できてると思っていたんだよ。梗塞の話を聞かされたときの動揺たるや…。


すでにこの時点で50分も過ぎていた。先生、こんな長い時間までお付き合いしていただきありがとうございます、と。すると先生は、だって話聞かないと何もわからなじゃない、という。ちょっと感動したわ。うん、そうだよ。5分、10分で話せるわけないからね。聞いてくれるという行為がどれだけ大事か…。最後に3D-CT撮りましょうとなった。


3D-CTを撮り終え、しばらく待っていると、「ひーるさん、脳梗塞あるよ!!」って。だから言ったじゃんか! (^_^;) ごめんごめんと先生。これ見逃すなんてありえないなって。だからさっきから以下略。「ひーるさん、選ばないと・・・」。だーかーらー(#^ω^)ちょっと衝撃だったようです。脳外科で見逃すのはまずありえないと言ってました。


しかも10年前はなくここ2、3年で出来た梗塞。心配しなくていい事ではなかった。もしかしたら薬で対応できていないかもしれないし、体の状態をちゃんとチェックできていれば梗塞の予防的なことが出来ていたかもしれないと。脳幹は特に神経が密集してるからよく見ておかないと。私以上にショックを受けていたのに少しクスッっとしてしまった。

220604

麻痺が強くある患者さんはウチのクリニックは進められないとはじめに断言されてしまった。それは診察に使う機械がCTでMRIじゃないから。どうしてもCTだと見逃してしまうことがあるというのです。MRIじゃないと安心できないって。もし脳の左側に梗塞が見つかった場合、麻痺してる右手や右足では変化に気が付かないということもあるという。


これってこの体になったときにすでに感じていたことなんだよね。また同じ箇所で脳出血をしてしまったらと。気が付かないで突然死とかもあるんじゃないのって(T_T) とりあえず、今まで通ってたかかりつけ医とはお別れしましょと。実際、かかりつけ医のところからも何人か患者さんが来てるようでして、流石に今回の見逃しは衝撃度高すぎたよう。


すぐさまMRI完備の別のクリニックを教えていただいた。人との付き合いだからもしだめと思ったらまた相談してくださいということでした。また、私の状態としては大学病院を卒業して、かかりつけ医を探すように進められた時点で、脳の問題はなくなったと判断されたと思って良いと。なので脳外科より内科のクリニックを探しなさいと進められた。


もしかしたら高脂血症や、高血圧、足の攣る現象なども脳外科というより内科が得意な分野のはずだから、できればベテランの先生を探すのが良いよと。たださ、これも至難の業じゃん…。良い先生なんで早々見つからないから…。とはいえ、残り一ヶ月弱で新しい内科探さないと薬がもらえなくなる…。『高血圧 高脂血症 おじいちゃん』で一発で見つからねーかなー(^_^;) しばらく休憩時間はクリニック探しが続くことになるだろう。


待合室に人が居なかったのは、一人の患者をしっかりと診ることから、約一時間は普通にかかる。なので待合室で待つのは無駄ということ。土曜日なのに、20時とか21時とかになることもあるみたい。利益追求のクリニックでは到底真似の出来ないことだ。私は言われた通り内科と脳外科を新しく探す。ここのクリニックはもっと助けを求めてる患者を救ってあげてほしいから。でも緊急時は助けてくれると言ってくれたので少し安心した。


権威のもとで厳しく洗練された指導の下、多くの手術の修練を積んできた本物の医師。にもかかわらず、この素晴らしい対応に惚れ惚れする。職人臭がプンプンする(・∀・) CT撮る前に、研修医がするように打腱器使ってトントンするんです。あとボールペンで左右上下にするやつも。大ベテランであっても初心忘れるべからず的な行動が素敵すぎ。こーゆーのやらなくなったドクター…。やる人が圧倒的に少ない現実。ほんと萎えますなぁ。

220605

雨がきーた 梅雨がきーた 鬱がきたー(T_T)

220401

なんか桜の季節はあっという間に過ぎて、気がつけばゴールデンウィーク目前ですね。はーるがきーたー はーるがきーたー どーこーにーきたー...。ほんと何処に来たんだよって話だね(;´∀`) 寒暖差が激しすぎで嫌になる。それに気圧。とんでもないくらい急降下・急上昇で吐き気とめまいが如実に出まくりました。ここ最近本気で苦しんでます。


いつものように五苓散は欠かせませんね。天気痛の週間予報見ると一週間すべてが赤く染まることも多く、毎朝仕事前に五苓散を飲んでいることが多いですね。正直な話、漢方とはいえあまり多くは飲み続けたくはないのですけど、飲まないと吐き気とめまいがね...。最近は漢方の効きも弱く感じるし、頭痛っぽい症状も出てくるようにもなったしね(^_^;)


まー、そうはいっても仕事を休むほどでもない? ので、会社へ行ってきっちり働いてきますけど。しんどいのは変わりません。なので、相変わらず土日は何処へも行かずぐったりと。洗濯と掃除、食事の準備をしたらもうおしまい。寝ることはしませんがボケーッと死に体に。特に何を探すわけでもなくインターネッツを白目になって眺めてるだけという。


ただG.Wは本格的な掃除をしなければいけません。狭小スペースにバカでかいスーツケースと白髪の増えたオネーサンがやってくるので、受け入れ体制を整えないといけなくて。まだしばらく先だけど休みがなくなったのでやれる準備はしておこうかと。まぁ、ニヤニヤしてるんだろうな。寿司、焼き鳥、うなぎ、とんかつ、ラーメンちゃん...。\(^q^)/

220402

約10年間悩まされ続けてきた、ある問題が解決しそうになりつつある。それは「こむら返り」というやつ。このカラダ、というか高血圧の降圧剤や高脂血症の薬を飲むようになってから頻発するようになった「足のつり」。長い間悩まされ続けました。最近はほぼ毎日、麻痺足をつって目を覚ますことがほとんどでした。酷いときは両足同時に...。悶・絶!!


苦痛以外の何物でもなかった。ベッドから立てない...。足を引きずりつつ芍薬甘草湯を飲みしばらくじっと待つ。早いときだと10分たったぐらいからスーッと痛みが和らぐ。これが毎朝のルーティーンに組み込まれつつあった(´;ω;`) 耐えられんよ。ミネラルが足りない、マグネシウム不足だの水分摂ってないだのと、あたかも自分が悪いみたいに...。


その都度ミネラル摂れるように飲み物を麦茶に変え、こまめに摂取して、マグネシウムもサプリで摂ったりしてましたが、一向に収まらず。相変わらず、ピキピキってね。まじで出社したくなるには十分すぎる痛みなんですわ(T_T) 一度、こむら返りで検索をかけたことがありましたが、至極当たり前のことは書かれていますが、自分のケースに当てはまるものが殆どなかったんです。書いてあることはほぼどれも一緒でしたからね...。


ある朝、4時位につってしまい、芍薬甘草湯が効くまでネットで『足のつり』を懲りずに検索かけてました。偶然見つけたサイトのリンク(PDF)に筋痙攣の原因となりうる薬剤というリストがありました。高脂血症、降圧剤など、普段服用している薬の数々。スタチン系やβ遮断薬、カルシウム拮抗薬などしっかり書いてあった。やっぱ薬じゃねーか(-_-;) 


わかってはいたんだよ。ただ、もしかしたら原因は自分の不摂生のせいなのでは? と思っていたこともあったので改善すれば治ると信じていた。治りませんな(^_^;) 早速、かかりつけ医にリストを見せて、自分の薬との関係性を問いただした。ケチをつけたわけではなく、変えられそうな薬があればいいなという話だったんだけど、イマイチ納得しない。

220403

ちょっとイラッとしまして、埒が明かないので大学病院で検査したいと、紹介状書いてくれと言ったんですね(-_-;) だってこのままだと何も変わらないじゃん...。書くけど、じゃー何処が良い? という、知らねーよ、あんた医者だろ、素人に尋ねるなよ...。と心のなかで。ちょっと言ってみてと、整形、神経内科、総合なんちゃら云々かんぬんと言う。


とりあえず、このあとすぐ行くので脳神経内科で紹介状書いていただけますかと。しばらく待ってダッシュで行ってきました。予約のない大学病院は鬼のように待たされる。9時に着いて12時前だもんね受診できたの(T_T) でも行ったかいはあった。ドクターは助教で女性ドクター。紹介状に書いてある薬を確認して話をする。足がつるのですねと。


はい。ここ最近は毎朝で辛くて限界です、と。漢方とはいえ、芍薬甘草湯があるのでまだマシですけど流石に毎日は飲みたくはない。うんうんとうなずいてましたね。芍薬甘草湯も漢方とはいえ薬なんから、飲まないに限るよねと。あとは筋緊張状態を改善する薬もあるよと言うので試してみたいと言った。薬は変える必要はないだろうねと言う事でした。


ただ、カラダのミネラルバランスがおかしくないか血液検査しましょとなり、結果は午後の診療が始まる前にやろうということになり、早速血を抜いてもらうことになった。ここの血液検査、以前穴だらけのされたことがあり、かなり警戒してました。呼ばれてすぐに腕をめくらず、血管細いので手の甲でお願いしますと。わかりましたと準備が始まる。


ブスーっと刺されて、しばらく我慢。あれ? いつもより時間掛かってね?? これ遅くない? というと、ちゃんとゆっくり摂ってますので大丈夫です。とか言ってるの(^_^;) そんなことコントロールできるのかよと。失敗してるんじゃねって思ったわ。ここはホント下手っぴの集まりだなぁと思ってしまったね。附属は下手っぴが集まるのかね(・_・;)

220404

午後イチで検査結果を教えてもらい、ミネラルバランスは特に問題なしだとわかった。後は薬をどうするかの話。強い薬でなければ試してみたしと話した。ただ眠気が出るよというので、むしろ眠る寸前に飲めば良いのでは? と。つるのは朝の4時から5時位だしと伝えた。頓服としても使える薬だから良いですね、となった。とりあえず2週間分で試す。


その日の夜から1錠ずつ飲み始めます。 筋緊張改善剤『ミオナール50mg』薬剤師が肩こりですか?とか聞いてきたので違います、つる方ですと。肩こりや頭痛、腰痛にも効く薬なのね。これね飲み始めて2週間が経過しましたが、その間、一度もつりませんでした。奇跡としか言いようがない。プラセボ効果かもしれんけど、ほんとつらなくなった!!


コレまでの流れだど、朝方、違和感があり、ヤバいと慌てる。イメージは欽ちゃんの仮装大賞パネル、下から順番に上がっていき合格ラインを超えた途端に悶絶するわけね(T_T) それがミオナール飲んでから、10点も行かずに不合格の嬉しい鐘の音がなるわけ。MAX超えてビキビキビキとならなくなった。嬉しいじゃない長い期間苦しんでましたからね。


2週間が過ぎたあと、かかりつけ医のとこ行って、処方された薬が効きましたと、プラセボかもしらんけど、全くつらなくなった伝える。そしたら何を勘違いしたか知らんけど、薬を減らすつもりが薬を増やされその薬で救われるのは皮肉だねと。ちょっとカチンと来た。そうは言っても長年苦しんできてのが減ったのはとても大きい。毎朝の仕事休みたいの葛藤は想像できないでしょ。毎朝のモチベーションが全然変わりますからねと。ふん。


今回は脳神経内科のドクターが素晴らしかったですね。普通、足つったら整形外科と思っちゃうじゃない。でも違ったんだよね。脳神経”内科”だったんだな。ワタシの中では。ただヤブは必ずいるから一概には言えません。痙性麻痺の観点でアプローチしてるのかしら? もう一度紹介状書いてくれんかなー。そのへんの話聞いてみたいわ。とりあえずはめでたしめでたし、なのかな。しばらくはミオナールは常備薬になりました。良かったよ。

220405

今年はツキがないわね(;´Д`)

220301

先月の転倒から4週間が過ぎました。ドクターが言ってたとおり2週間後に痛みが半減して、ベッドに入る姿勢から寝返りまで比較的に楽な感じ。少し前まで重心が肋骨近辺に集まるとかなり痛く、その姿勢をカラダが拒絶していました。それが少しずつ痛みがひくというか、ミシミシ感が無くなったというか…。やっとね。まともな生活が出来ますね。


ただ、庇い続けていたことで筋力の衰え的なものを感じてます。まぁもともと麻痺側なので大した筋力もないのですけど、約一ヶ月間負荷のかからないように生活をしていましたので、いろいろな動作がおかしくなっています。特に歩行がヤバい。健側に寄りかかってますやん…。”衰え”という響きに恐ろしさを感じる、お年頃のおじいちゃん\(^o^)/ 


昨年のワタシのモチベーションキープに大いに貢献してくれたF1。特にレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペン。約40年前に初めて観たときの興奮、いやいやそれ以上に熱かったシーズンでした。有終の美を飾り、ワタシは虜になってしまいましたw そんな中、日本GP向けのカラーリング、通称「ありがとう号」の実車が展示されていまして。


ショーカーのダミーじゃなくて、トルコGPでマックスが乗った実車が観れるとわかってほぼ発狂しかけましたw 半休使い整形外科寄ったあとに青山直行しましたね。水曜日が休みじゃなくなったから、そうでもしないと撮影できません…。もうね実車見て興奮です。ショーカーと全く違うし。ステアリング付いてるじゃんってもーそれだけでね(^_^;)


水曜日にも関わらず人手は結構居まして。レプリカのシャツ着て語ってる奴が居てキモいわーって。まぁ写真夢中で撮ってるワタシも同類みたいなもんなんだけどねw 人に迷惑をかけないのがポリシーです。相手してたホンダのスタッフも大変ね…。レンズ数本持ち込んでたので行きの電車の中は肋がヤバかった。でも撮ってたときはアドレナリン出まくりのマックス・フェルスタッペン! なんのことだか(^_^;) 痛みも忘れて夢中になった。

https://www.flickr.com/photos/153820810@N02/51937684083

ただでさえ片麻痺のストレスがあり、更に週5のストレス。そして転倒骨折のストレスがワタシの心を蝕んでいる状態だったのを、少し和らげてくれたイベントでした。ストレスって言ってもストレスを自覚しているのでなく、カラダの一部がおかしくなって調べるとストレスが原因とか、最近特に多い気がするんですわ。自律神経とストレス、厄介ね。


今シーズンも最後のテストが先週末に終わりました。色々と不満の多いダゾーンが3日間のテストを放映してくれた。ワタシのカラダも準備万端。今週末の開幕戦に仕上げてきました\(^o^)/ ただ、注意しないといけないのが19日が3回目の摂取日なんですわ…。気分が悪くなって観れなくなるのは嫌だななーって。いつか打たなくなる日が来るのかね?


さて、今年はスタートからあまり良くありません。気分的なものがほとんどですけど、気がつけばプンプンしてる日が多いように感じます。ただでさえ血圧の高い時期なので少し抑えなければならないのに、また問題が発生。そして二度目のアップルストア。ベッドに置いてあるiPadにトラブルが起き、サービスでは解決できず対面修理?となりました。


いやー、純粋にアップデート来てたのでiMacに繋いでバックアップ取ってからアップデートはじめたんだけど、途中でiPadの画面にエラーコードが出てケーブル挿すように指示が出てしまって、繰り返してやり直しても、先へ進まず同じところでエラーとなった。すぐさまサポートに電話するものの、リモートで確認してもらうも無理との判断。店頭でと。


平日だったけど、仕事終わりの時間で予約をしてもらい行くことになった。多分直るだろうと安易に思っていました、が…。直る気配が無い(^_^;) 修理用のMacBookとケーブル繋げてアップデートの作業に入るのですけど、家でやってた状態と同じエラー。駄目ですねと、その後もしぶとく何度も繰り返すのですけど一向に直る気配が無いんですわ。

流石に駄目かもと交渉できるか話を始めた。まだ購入して一年半だけど下取り出せる? と。1年補修過ぎてますから出来ません…、と。まぁそらそうだ。ごもっとも(-.-;) ただここで食い下がる。一年半で大してヘビーな使い方もしてなくてアップデートしろと言われてそのとおりにしたら壊れたんだよ。それまで普通に使えてたのに。意味わからんと。


しばらく席を外され、上司的な人と相談しに行ったようなんだけど、帰ってきた答えは「申し訳ありません」でしたわ。じゃーせめて下取りしてよと、更に食い下がる。また奥の方へ行って、しばらくしたら、申し訳無さそうに完動品でないと下取りは無理と言った。理不尽すぎてゲボが出そうになった。すでにiPad投げ捨てて帰る準備は整いつつあった(T_T)


スタッフが最後に別の機材で試してもいいかというのでお願いをする。でも会社のウインドウズでも駄目だったから多分無理かと思っていた。すると同じタイミングでエラーが出てたのが、さっきより長いような気がしてる。あれ?行けたんじゃね? と思ったらスタッフが行けるかもしれませんが油断は禁物ですと。何この緊張感。心地よくは無いね…。


そして感動のフィナーレが待っていた。無事に復活したのです。おぉヤッター! ありがとうとスタッフをねぎらう。そこでスタッフが提案をしてくる。この状況がずっとこのまま使えるのかはわからない。またアップデートしたときに同じエラーが出てしまうかもしれません。じゃー下取り出せる?と私。今の状態なら可能ですと。それでお願いします。

で、21000円のギフトカードになりました。全損する可能性はあった。直ったとしてもいつまで使えるかわからないモノを使うよりは、一世代新しいiPadになるだけましだと下取りを選んだわけですが、肝心のモノがないんだわ(T_T) 半導体不足のせいかコロナの影響なのかわかりませんけど納期は一ヶ月程度…。もー好きにしてくれ。はいはい、耐えればいいんでしょ。いつでも待つわ。AndroidとFireとか買わんし使い方わからんし…。


なんかスッキリしないんだよな。せっかく貯金ができると喜んでるそばから予想外の出費ばかりでしょ。前回はダゾーンの値上げ前の年間パス、そして今回のiPad購入費。実質18000円くらいで買えるんだけどさ。予定にない出費は嬉しくないよ(^_^;) せめて今週末はぶっちぎりの独走で走り抜けて、ワタシの気持ちをスッキリさせてほしいですね。

220303

気分が良かったはずなのに…。

220201

久しぶりの更新で上手く書けるか心配です。まぁ、昔から大したことのない文章ですから、心配しても始まりませんね\(^o^)/ 相変わらず、blogを書くモチベーションを持つことがかなり難しいですね。8時間の労働ですべてを出し切った感じ。どうでもいい内容の仕事ならともかく、新規で作る取説や来年度のカタログ用のイラストだったり…。


自分で考えて作るイラストは構図やデザインなどセンスが問われる仕事だったりして。Illustratorで作るのですけど、2Dしかないものを3Dで新たに作り、それらをベースに、分解図を作って仕上げる、とか。文章は営業さんが用意したものをうちの部署で精査して使うので、まだ楽なのですけど、説明したい文章をどこ入れる? サイズはある? ない?


毎日がそんな繰り返しで、やりがいはとてもあるのですけど、家ついた頃には燃え尽きてしまって、blog書くモチベーションがどこ探しても見当たりません(T_T) 10年も経ちMRIを見れば一見スッキリしたように見れる脳であっても、無くなってしまった部分は確実にあって、なんとか補いつつはあるものの、脳疲労は計り知れないものがあります…。


とはいえ、せめて月イチの更新はしておかないとイカンよなーって。ちょっと頑張って書いている次第。無理に書くようなら書かないほうが良いのですけど、これまでの一ヶ月で色々ありましたから、書いておかないと忘れてしまいますので。それなりにね、記憶として残しておかないといけませんから。それと癖が抜けて書けなくなることがちと怖い…。


というわけで!? 1月某日に10年のお祝いとしてiPhone13miniをアップルストアで一括購入してきました。二年縛りで料金がタダ?になるプランのiPhone12miniも魅力的でもありましたが、まーとても長く使うことになるので13miniを買いました。次の14はminiはないとの予想でしたのでね。このサイズのモデルはどうやら売れてないようなんです。


正直、手に持った感じは少し大きいのです。SEのファーストを長い間使っていましたのでどうしても大きく感じてしまいます。ただSEの4インチから13miniの5.4インチと大きくなったので見えやすさの点ではかなり良くなりました。老眼の進行が随分と進んでいるようで、メガネをしてない状態だとかなり辛かった。曇りが嫌なのでメガネせずに出社中。


FACE IDもそんなに気にならないし、次のアップデートでマスク付けてても認識するようなので、そうなれば快適になるだろうし。今現在は6桁のパスコードを4桁にして手打ちで対応しています。そしてAppleウォレットでPASMOが使えることになったのがなにげに嬉しかったり。SEじゃ出来ませんでしたからね。ただ、定期用は入れないで素のまま。


定期券(電車・バス)、都営無料乗車券(PASMO)をICセパレーターを使って重ねて使用。その定期入れをキーバックにつけてビヨーンとひっぱりピッとする。むき出しのままだと確実に無くすから、肌身離さずね。キーバックはかなり大事なもの。高次脳機能障害者には必須のアイテムであることは間違いない。中でもケブラーワイヤー製を勧めますね。


普段の通勤時はパスケースでピッと、都営地下鉄も同じくピッとして、お金のかかる路線についてはiPhoneでピッとする。残金もわかるのでかなり楽。Suicaは旅行ができるようになったら改めて入れればいいやって感じ。PayPayとPASMOあればキャッシュレスは十分ですからね。毎日使うにはパスケースが安心。iPhoneをかざすには片麻痺ではキツイ。

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ピークデザインのアンカーが付けられるお気に入りのケース。試しにカメラのストラップ付けてみた

杖も持ってるしね。改札通るの一苦労になる。そういう意味だとApple Watchが正解なのかな…。持ってないからわからんけど。ただ東急以外のバス乗るときだとミライロを提示、それからパスケースに持ち替えてピッとする手間が省け、ミライロ見せて料金の切り替えが確認できたらピッとする。ちょっとしたひと手間だけど楽になるの嬉しいです。


本体を買う前にケースを先に買っていました(;・∀・) ピークデザインのやつ。すぐ無くなりそうな気がして。売れなくて。これまで買おうと思ってたものが売り切れるとこがよくありまして。心配になって買ってしまった。ケース持ってアップルストアに行き、SIM変えて、スクリーンプロテクター付けてもらってカバー付けて完成って感じでした。


アップルストアの店員って、当たり外れがあるから入るのに少し抵抗がある。今回は見事に外れました。東南アジア系のハーフ? 女子ならまだ良かった!? でも私についたのは男子?? てか、明らかにオネェ系(T_T) それでも普通に接しましたよ。はっきりいって嫌だけどさ。普通に会話してiPhone13miniが欲しいですとお願いしました。SIM交換、持ってきたカバーのセット、そしてストア限定のスクリーンプロテクターも依頼した。


傷がないことを確認して、専用の治具にセット、プロクターもセットしてスッと引き抜くと綺麗なスクリーンプロテクターが完成する、はずだった…。店員が一通り見て確認を求めてくる。「いかがですか?」と。でもそこには右上の端に浮いたままのプロテクター。間髪入れず「これだめですよね」と。では新しいの持ってきますねという。えっ、なんで?


治具通してもだめな場合があるので、お客様が満足するまで新しいのを持ってきてはやり直すという。ちょっと癇に障った。2枚目を持ってきて同じ手順でスーッと引く。また同じ箇所が浮いている。はっきり言って量販店のスクリーン貼り職人のネーチャン連中のほうが遥かにいい仕事をしてくる。「だめだね」と私。「どうしますか?」ジェンダー野郎。

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「どうしますもないでしょ。だめに決まってるじゃん」怒り度50%…。次がだめなら本体入れ替えますと言い出した。プロテクター何枚だめにするかわからんよというと、「お客様が満足されるまで何枚でも交換し続けます」と言いやがった。これって私が妥協してもういいですと言わせれば勝ちみたいな雰囲気。なんとか工夫を凝らし綺麗に仕上げるという気持ちを持ち合わせていないジェンダー野郎だった。そして三枚目が失敗する(#^ω^)


「さっきの人呼んでくれ」と。チーフらしき人を呼んでもらうことになった。今度はちゃんとした男性で日本人。状況は把握していたらしくチェックを始める。すると小さなヘラで隙間箇所を強く押し込んでいる。そうそうこれこれ。なぜそーゆーことしなかったんだろう。タオルで拭いて新しいの持ってくるだけだったからね、金髪豚野郎は(;・∀・)


その人はセールスリーダーでした。話し方も丁寧で嫌な感じもなく、問題解決に向けてしっかりと対応してもらいました。結局、寒い時期は若干の歪み等で手での仕上げが必要になると言っていた。一度密着すれば剥がれることはないと思うので、万が一剥がれてしまったら私にご連絡いただければ直ぐに対処いたしますと。これだよね、求めてるのは。


1枚5千円オーバーのスクリーンプロテクターをなんの躊躇もせず捨て続ける店員。『あんたがいいって言うまでやめねーぞ』という脅し。私はそう取った。そんなことないと思われるかもしれないが、あの場の雰囲気、キャラクター、話し方で不快にさせるには十分だった。頼むから普通でいてくれ。アップルストア店員の特別感はいらねーんだわ。

220204

こんなこと書いてたからバチが当たった、わけではないけど久しぶりに転倒した。麻痺側の脇腹を強打して肋骨の8番と9番を骨折(不全骨折)。要はヒビが入った状態。脳外は信頼できるクリニックがありますが、整形で当たりと思えるところはなくて結構大変。これはいいとこかもと思ってるとリハビリもやっててジジババ湧きまくりでドクター1人とか。


明らかなキャパオーバーで、一般の患者以外にリハビリの患者まで。診察中にインカムで指示を出したりしてて、レントゲン取りました、見ました、帰って大丈夫。とかさ…。まー、二度と行かないから良いんだけど、なかなかいいところが見つからない。片麻痺初期の頃、大岡山までパンを買いに行ってました。ショーマッカー。ドイツパン屋さんね。


その途中に良さそうな整形外科があったのを思い出し、そこへ行ってきた。整形外科がメインでリハビリテーション科もあるにはあるけど療法士がいるような感じがしない。受付の雰囲気はとても良くいい感じ。何よりもジジババの喋り場になってないのが一番良かった。ドクターは私を救った大学病院出身で経歴もそこそこいい感じ。かなり期待する。


簡単な説明をしてレントゲンを撮るのですが、前回と一緒の正面と斜めの角度の2枚。ろくに説明もしなかった前回のドクターと違い、レントゲンをじっくり観察。細部も拡大っしてチェックしてました。実際にヒビの入ってる場所だったり、骨の形状が今どうなってるのかをしっかり見せて説明してくれました。ここで初めて診察されました骨折と。


前のところは折れてなかったら2週間、折れてたら4週間とかあいまいな事言われてたので。ほんといい加減過ぎる。今回も内容としては2週間程度で痛みが半減、4週間で完治と、同じ時間でも内容が全く違う。これは良いドクターかもと思っていたところ、脳出血の話になった。大学病院に緊急搬送、リハビリは附属病院で、その後は悪名高いクリニックで強制的に。というと先生が笑い出した。なんであそこ行かされるんだろーねって。


実は同じ区内で他の患者さんからその評判を聞いてるみたいなんですわ。みんな同じ思いなんだろーなーと。患者本位でない金儲けクリニック…。ワタシ的に付け加えると質の低い残念なセラピスト。全部ではないけど、良い療法士はほんの一握り。どこもそうなんですかね。まぁいいや。私はやっと整形の良さそうなところが見つかったので(*´▽`*)


とまぁ、長々と。まだ書きたいこともあるにはあるけどきりがないのでやめておきます。痛みもちょうど2週間を過ぎた当たりからゆるくなってきて、寝返りも少しだけできるようになりました。あと2週間かー、カルシウム全然足りてないな(^_^;) それにしても月イチは厳しいな。量が多くなりすぎる。隔週とかどうなのかしらね。考え中\(^o^)/

220205

十年十色

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10年ですな。これまで片麻痺として生きて節目の年となりました。とりあえず、おめでとう自分。ホントよく頑張ってる。様々な問題に相変わらず苦しめられてはいますけど、それなりに楽しく生活ができています、かね? 辛くても10年もあれば嫌でも耐性が出てくるというもんです。もともとそんなに無かったし。乗り越えるのに闘志を燃やすタイプw


泣いたのは回復期でねーさんが海外から来てくれたときだけ。急性期で絶望し、回復期で生きる気力を振り絞っていたとき、顔を見せ抱きしめられたとき人目も憚らず号泣した。どこかでやせ我慢、空元気でいた自分、タガが外れ号泣しました。でもそれだけだった。片麻痺になって自分のカラダが嫌になり泣くことはなかった。こればかりは間違いなく。


記憶障害で忘れてるだけでしょ?  違いますね。性格上、そのような気持ちには絶対になりませんので。あーあ、やれやれと思うことはあってもシクシクと枕を濡らすようなことはしませんでした。そんなことより、どうやってこのあと生きていこうかと、それしか考えられなかった。これは独り身だったことが幸いでした。辛くても我慢すればいいだけ。


正直、急性期の1ヶ月間は頭が不鮮明すぎて、自分の置かれているを状況を全く理解をしていなく、単純に寝てるのが楽、車椅子に座らされるのが苦痛とそのくらい。その間、ちょっかい出してきた狂ったG(患者)に蹴り入れたり、深夜に若い看護師にケツひっぱたかれたりとかそれなりの事件はありましたが。クレーンで吊るされて大きな湯船に浸かったり、そうそう、忘れていけないのはPTが全く動かない足を毎日動かしてくれてました。


申し訳ない気持ちだったのを覚えてる。急性期は声出せませんでしたから。ワタシは緊急搬送された病院が大学病院で、回復期は附属のリハビリテーション病院に移りました。担当になった療法士の方々と相性が良かったことで、やる気スイッチが見事に入りましたね。自主練も含めホントよく頑張った。そのときに教えてくれた急性期のPTの人のこと。


実はとてつもないベテランだったようで、数年後にはリハビリテーション病院の技師長になってました。その時はお世話になりましたと挨拶に行きましたもん。質の高い回復期での6ヶ月間のリハビリを経て、外来リハに行くことになるのですが、ギャップがありすぎてがっかりというか、半分怒りみたいなものが芽生えましたね。でも近くではここだけ。


唯一、救われたのは装具選択でした、普通、回復期の最後に装具を作ってサヨウナラとなるはずだったのが、最後の最後でPTがミス。ワタシの住所が東京、県またぎとなり申請方法が違ったようでして。紹介状にて装具の選定依頼をしていました。そこで出会ったのが東名ブレースの『TAPS』でした。カーボン支柱とか、目がキラキラしましわ(*´∀`)


出来合いのモノはあったけど、自分の足の形に合わせて作れるものとしてはこれだけだった。そしてblogデビュー。何もすることがなかったのと、片麻痺となり生活する上で必要と感じたものをアップし始めました。オリジナルの杖や自転車用のライト(1)(2)(3)付けて紹介したり、ハンズフリーの傘を紹介したり、TAPSや後継機のRAPS(1)(2)(3)(4)など。


なるべく人のやっていないことを先駆者の気持ちで書きまくりましたね。特に装具のTAPSに関しては色々やりました。ネジ変えたり、図面引いてオリジナルで発注したり、カーボン磨いたり。障害者がやるレベルじゃないよ…。おかげで開発者の沢田先生から連絡来て、お知り合いになれたし、東名ブレースさんからゴニョゴニョさせていただいたりと、いつかきっと今後の装具開発に役立ってくれるはず。そして嫌でも出てくるパクリ記事。


よりによってパクった相手がセラピストというね(;´∀`) 嫌気が差したのです。情報の拡散という意味では良いことかもしれませんが、あたかも考え出したのはパクったやつで、元の情報として考え出したのにリスペクトされないことで嫌気が差した。片麻痺のカラダで考えて出したものを、健常者がカネになるとパクる構図が嫌になったんだな。


今はどちらかと言うと記憶の補完でしかありません。自分の身に何が起きていたのか、気持ちだったり、行った場所だったりと。高次脳機能障害となって、なにもないところから記憶を呼び戻すのはほぼ無理になった。ただ、きっかけとなる文字や絵(写真)を見ることで感動を覚えるほど記憶が蘇ることがある。大したことでなくても大げさに感動するw


ただ日常のなかで何気のないヒントや道具だったりは自分の思ってないところで反響があったりなかったり(;´∀`) まぁこれからも続けていくと思いますが…。ただ、仕事で余裕が無くなったことでアップする回数は減っていくと思います。余裕があるときじゃないとしっかりと書き込めないこともあるし。ショートVer作ろかな。どうすればいい??


カラダとしては2012年に左被殻出血したワタシ。発症当時の状況は酷いもんでした。残った障害は上肢右手全廃、下肢は杖と装具で歩けます。室内であれば僅かな距離(5m程度)なら装具なしで壁伝いに歩けます。運動障害としてはそんな感じ。一級一種の障害者手帳持ってます。ただ、これに加えて右目失明してますん。そして高次脳機能障害付き。


厄介なのは運動障害よりもこちらの高次脳のほうですかね。

構音障害   上手く発声できない。ドスの効かない可愛い声\(^o^)/
運動性失語  言葉や文字は理解、ただ言葉(文字は大丈夫)に上手くできない。
感覚性失語  会話が成立させるのが少々難しい。
記憶障害   物の置き場所を忘れる。
注意障害   2つのことを同時に行うと混乱する。
遂行機能障害 人に指示してもらわないと何もできない(特に仕事)。


とまぁ、こんな感じ。生活に支障があるかと言われると、そうでもない。声の可愛い残念なおじいちゃん程度。とても完璧な人だったらプライドが邪魔をして苦しむのでしょうが、しゃーないしゃーないで生きてきたワタシには、ある意味で開き直れる感じですか。そんなことより、優しい人間になれたのは喜ばしい。会話が難しくなったので、丁寧な言葉を使うようになったら、自然と優しい人になってました。怒るのめんどいし\(^o^)/


とはいえ、10年過ぎたから言えることでもあります。はじめの頃なんかはそれらの症状がもっと強く出ていて、余裕なんてまったくなかった。毎日がパニックといっても過言ではなかった。仕事できないときは、その気持を紛らわすためによく歩きました。気分を変えることができましたし、何よりも歩くことが片麻痺にとって良いことだろうと思ったし。


高次脳機能障害で、一番大きく変化が起きたのは、やはり働くという気持ちからでした。自ら親族に頭を下げ、はじめてCADを触る。練習のため週二で通い最低限のことができるようになったら働いてもいいよと言っていただいた。区の福祉センターの課長さん連れ出し、社長と担当部署の方々に自分の障害の説明をしていただいた。無事に社員となった。


その後は必死です。以前に書きましたがフルタイムまでの道程は長く、途中で厄介な自律神経の病に苦しめられる。今でこそ自律神経の乱れとわかり、それを引き起こすのが気圧配置とわかりましたが、当時は何がなんだか全く理解できずに苦しめられました。そのたびにいろいろな検査をして、問題ないとわかり一つ一つ原因を潰して来たのが良かった。


一歩間違えればメンタル的なところで薬でどんどん堕ちて逝くとこだったよ…。心療内科の薬物依存はマジで怖い。当時を考えると、なっててもおかしくなかったですから。原因が気圧なのでどうしようもないことですが、なんとか漢方(五苓散)で凌いでいます。フルタイムとなり、仕事の質も量も変わりました。依頼される量、頼られる量が増えました。


指示があってのことですが、その指示に従って作るもの、2DCADはもちろん、3DCAD、Illustrator、マイクロスコープ、三次元測定機のデータ解析など、それらを求める形で提出できるようになった自分が誇らしい。しかも左手一本ですべてをこなすという術はいわば職人芸といっていいだろう。芸人じゃない、職人技だw 片麻痺スペシャリストね。


このあとの10年生きられますかね。どうなんでしょう。カラダは残念だけど他の同年代よりは明らかに劣ってます。もともと脳出血になったのだって、糖尿病が原因だろうし。一旦治ったと(進行ゆっくりになっただけ)ほったらかしにしてた。血管弱ってますから。塩分怖いけど、少しづつ増えてるに違いない。嫌だねー。定年までは最低でも生きたいな。


それと、ネーサンのいる海外の旅行。それまでは死んでも死にきれん。何がなんでもね。チケット取ったにもかかわらず直前で中止。マジでムカついた。早くマスクを外せる生活に戻りますように。それと生きる気力を蘇らせてくれた療法士の方々、フジイちゃん、センガくん、カワハラせんせ、ワタベくん、コニシさん。現場実習で来ていたカワシマちゃん。ほんといい人ばかりだった。10年生きられました。ありがとうございました。


早いようで早くないね10年は。あっという間の10年ってことはなかったよ。なんだかんだで試練の10年だったのは間違いないですね。ただ目標に向かって一歩踏み出す、達成したらまた次の目標に向かって踏み出す。些細なことでも確実に一歩一歩踏み出してきた10年でした。ワタシみたいなポンコツでもしっかりと生きてきた10年だったと思います。


誰がなんて言おうとそれで生きてきたわけで無駄な説得力がありますから。それとblogのススメ。自分の気持ちを綴ることで改めて自分と向き合えるし、有言実行という言葉が芽生えるはず。自分に対して適度なプレッシャーをかけることで、半ば強制的に一歩踏み出すことが出来ます。ワタシみたいな記憶障害にも過去の出来事を補完出来ますからね。


Twitterは短文だし、知らぬまに見れなくなる。過去のツイートを掘り下げることは出来るけど、面倒くさいし。blogなら自分の記事を検索して、『片麻痺』などのキーワード入れれば自分の書いた『片麻痺』というワードに反応してくれて、過去の記事を掘り出せますから。片麻痺になってまだ日の浅い人がいれば腹筋とblogはやっとけと言い詰めたいw


長々と書きましたが、やりきった感がありますね。燃え尽き症候群的な…。ただ仕事はおかげさまで忙しくさせてもらってるのでそれが唯一の救い。まだ10年しか経ってないのにね。まだまだできることはあるはず。次の一歩になるものを探し出さないといけないな。まぁ、そのうち見つかることでしょう。これからもよろしくお願いいたします\(^o^)/

220102