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重度脳血管疾患を経験済み。障害者手帳1級1種持ち。左手カメラで散策する、お花畑ブロガー

十年十色

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10年ですな。これまで片麻痺として生きて節目の年となりました。とりあえず、おめでとう自分。ホントよく頑張ってる。様々な問題に相変わらず苦しめられてはいますけど、それなりに楽しく生活ができています、かね? 辛くても10年もあれば嫌でも耐性が出てくるというもんです。もともとそんなに無かったし。乗り越えるのに闘志を燃やすタイプw


泣いたのは回復期でねーさんが海外から来てくれたときだけ。急性期で絶望し、回復期で生きる気力を振り絞っていたとき、顔を見せ抱きしめられたとき人目も憚らず号泣した。どこかでやせ我慢、空元気でいた自分、タガが外れ号泣しました。でもそれだけだった。片麻痺になって自分のカラダが嫌になり泣くことはなかった。こればかりは間違いなく。


記憶障害で忘れてるだけでしょ?  違いますね。性格上、そのような気持ちには絶対になりませんので。あーあ、やれやれと思うことはあってもシクシクと枕を濡らすようなことはしませんでした。そんなことより、どうやってこのあと生きていこうかと、それしか考えられなかった。これは独り身だったことが幸いでした。辛くても我慢すればいいだけ。


正直、急性期の1ヶ月間は頭が不鮮明すぎて、自分の置かれているを状況を全く理解をしていなく、単純に寝てるのが楽、車椅子に座らされるのが苦痛とそのくらい。その間、ちょっかい出してきた狂ったG(患者)に蹴り入れたり、深夜に若い看護師にケツひっぱたかれたりとかそれなりの事件はありましたが。クレーンで吊るされて大きな湯船に浸かったり、そうそう、忘れていけないのはPTが全く動かない足を毎日動かしてくれてました。


申し訳ない気持ちだったのを覚えてる。急性期は声出せませんでしたから。ワタシは緊急搬送された病院が大学病院で、回復期は附属のリハビリテーション病院に移りました。担当になった療法士の方々と相性が良かったことで、やる気スイッチが見事に入りましたね。自主練も含めホントよく頑張った。そのときに教えてくれた急性期のPTの人のこと。


実はとてつもないベテランだったようで、数年後にはリハビリテーション病院の技師長になってました。その時はお世話になりましたと挨拶に行きましたもん。質の高い回復期での6ヶ月間のリハビリを経て、外来リハに行くことになるのですが、ギャップがありすぎてがっかりというか、半分怒りみたいなものが芽生えましたね。でも近くではここだけ。


唯一、救われたのは装具選択でした、普通、回復期の最後に装具を作ってサヨウナラとなるはずだったのが、最後の最後でPTがミス。ワタシの住所が東京、県またぎとなり申請方法が違ったようでして。紹介状にて装具の選定依頼をしていました。そこで出会ったのが東名ブレースの『TAPS』でした。カーボン支柱とか、目がキラキラしましわ(*´∀`)


出来合いのモノはあったけど、自分の足の形に合わせて作れるものとしてはこれだけだった。そしてblogデビュー。何もすることがなかったのと、片麻痺となり生活する上で必要と感じたものをアップし始めました。オリジナルの杖や自転車用のライト(1)(2)(3)付けて紹介したり、ハンズフリーの傘を紹介したり、TAPSや後継機のRAPS(1)(2)(3)(4)など。


なるべく人のやっていないことを先駆者の気持ちで書きまくりましたね。特に装具のTAPSに関しては色々やりました。ネジ変えたり、図面引いてオリジナルで発注したり、カーボン磨いたり。障害者がやるレベルじゃないよ…。おかげで開発者の沢田先生から連絡来て、お知り合いになれたし、東名ブレースさんからゴニョゴニョさせていただいたりと、いつかきっと今後の装具開発に役立ってくれるはず。そして嫌でも出てくるパクリ記事。


よりによってパクった相手がセラピストというね(;´∀`) 嫌気が差したのです。情報の拡散という意味では良いことかもしれませんが、あたかも考え出したのはパクったやつで、元の情報として考え出したのにリスペクトされないことで嫌気が差した。片麻痺のカラダで考えて出したものを、健常者がカネになるとパクる構図が嫌になったんだな。


今はどちらかと言うと記憶の補完でしかありません。自分の身に何が起きていたのか、気持ちだったり、行った場所だったりと。高次脳機能障害となって、なにもないところから記憶を呼び戻すのはほぼ無理になった。ただ、きっかけとなる文字や絵(写真)を見ることで感動を覚えるほど記憶が蘇ることがある。大したことでなくても大げさに感動するw


ただ日常のなかで何気のないヒントや道具だったりは自分の思ってないところで反響があったりなかったり(;´∀`) まぁこれからも続けていくと思いますが…。ただ、仕事で余裕が無くなったことでアップする回数は減っていくと思います。余裕があるときじゃないとしっかりと書き込めないこともあるし。ショートVer作ろかな。どうすればいい??


カラダとしては2012年に左被殻出血したワタシ。発症当時の状況は酷いもんでした。残った障害は上肢右手全廃、下肢は杖と装具で歩けます。室内であれば僅かな距離(5m程度)なら装具なしで壁伝いに歩けます。運動障害としてはそんな感じ。一級一種の障害者手帳持ってます。ただ、これに加えて右目失明してますん。そして高次脳機能障害付き。


厄介なのは運動障害よりもこちらの高次脳のほうですかね。

構音障害   上手く発声できない。ドスの効かない可愛い声\(^o^)/
運動性失語  言葉や文字は理解、ただ言葉(文字は大丈夫)に上手くできない。
感覚性失語  会話が成立させるのが少々難しい。
記憶障害   物の置き場所を忘れる。
注意障害   2つのことを同時に行うと混乱する。
遂行機能障害 人に指示してもらわないと何もできない(特に仕事)。


とまぁ、こんな感じ。生活に支障があるかと言われると、そうでもない。声の可愛い残念なおじいちゃん程度。とても完璧な人だったらプライドが邪魔をして苦しむのでしょうが、しゃーないしゃーないで生きてきたワタシには、ある意味で開き直れる感じですか。そんなことより、優しい人間になれたのは喜ばしい。会話が難しくなったので、丁寧な言葉を使うようになったら、自然と優しい人になってました。怒るのめんどいし\(^o^)/


とはいえ、10年過ぎたから言えることでもあります。はじめの頃なんかはそれらの症状がもっと強く出ていて、余裕なんてまったくなかった。毎日がパニックといっても過言ではなかった。仕事できないときは、その気持を紛らわすためによく歩きました。気分を変えることができましたし、何よりも歩くことが片麻痺にとって良いことだろうと思ったし。


高次脳機能障害で、一番大きく変化が起きたのは、やはり働くという気持ちからでした。自ら親族に頭を下げ、はじめてCADを触る。練習のため週二で通い最低限のことができるようになったら働いてもいいよと言っていただいた。区の福祉センターの課長さん連れ出し、社長と担当部署の方々に自分の障害の説明をしていただいた。無事に社員となった。


その後は必死です。以前に書きましたがフルタイムまでの道程は長く、途中で厄介な自律神経の病に苦しめられる。今でこそ自律神経の乱れとわかり、それを引き起こすのが気圧配置とわかりましたが、当時は何がなんだか全く理解できずに苦しめられました。そのたびにいろいろな検査をして、問題ないとわかり一つ一つ原因を潰して来たのが良かった。


一歩間違えればメンタル的なところで薬でどんどん堕ちて逝くとこだったよ…。心療内科の薬物依存はマジで怖い。当時を考えると、なっててもおかしくなかったですから。原因が気圧なのでどうしようもないことですが、なんとか漢方(五苓散)で凌いでいます。フルタイムとなり、仕事の質も量も変わりました。依頼される量、頼られる量が増えました。


指示があってのことですが、その指示に従って作るもの、2DCADはもちろん、3DCAD、Illustrator、マイクロスコープ、三次元測定機のデータ解析など、それらを求める形で提出できるようになった自分が誇らしい。しかも左手一本ですべてをこなすという術はいわば職人芸といっていいだろう。芸人じゃない、職人技だw 片麻痺スペシャリストね。


このあとの10年生きられますかね。どうなんでしょう。カラダは残念だけど他の同年代よりは明らかに劣ってます。もともと脳出血になったのだって、糖尿病が原因だろうし。一旦治ったと(進行ゆっくりになっただけ)ほったらかしにしてた。血管弱ってますから。塩分怖いけど、少しづつ増えてるに違いない。嫌だねー。定年までは最低でも生きたいな。


それと、ネーサンのいる海外の旅行。それまでは死んでも死にきれん。何がなんでもね。チケット取ったにもかかわらず直前で中止。マジでムカついた。早くマスクを外せる生活に戻りますように。それと生きる気力を蘇らせてくれた療法士の方々、フジイちゃん、センガくん、カワハラせんせ、ワタベくん、コニシさん。現場実習で来ていたカワシマちゃん。ほんといい人ばかりだった。10年生きられました。ありがとうございました。


早いようで早くないね10年は。あっという間の10年ってことはなかったよ。なんだかんだで試練の10年だったのは間違いないですね。ただ目標に向かって一歩踏み出す、達成したらまた次の目標に向かって踏み出す。些細なことでも確実に一歩一歩踏み出してきた10年でした。ワタシみたいなポンコツでもしっかりと生きてきた10年だったと思います。


誰がなんて言おうとそれで生きてきたわけで無駄な説得力がありますから。それとblogのススメ。自分の気持ちを綴ることで改めて自分と向き合えるし、有言実行という言葉が芽生えるはず。自分に対して適度なプレッシャーをかけることで、半ば強制的に一歩踏み出すことが出来ます。ワタシみたいな記憶障害にも過去の出来事を補完出来ますからね。


Twitterは短文だし、知らぬまに見れなくなる。過去のツイートを掘り下げることは出来るけど、面倒くさいし。blogなら自分の記事を検索して、『片麻痺』などのキーワード入れれば自分の書いた『片麻痺』というワードに反応してくれて、過去の記事を掘り出せますから。片麻痺になってまだ日の浅い人がいれば腹筋とblogはやっとけと言い詰めたいw


長々と書きましたが、やりきった感がありますね。燃え尽き症候群的な…。ただ仕事はおかげさまで忙しくさせてもらってるのでそれが唯一の救い。まだ10年しか経ってないのにね。まだまだできることはあるはず。次の一歩になるものを探し出さないといけないな。まぁ、そのうち見つかることでしょう。これからもよろしくお願いいたします\(^o^)/

220102