goodluck+

重度脳血管疾患を経験済み。障害者手帳1級1種持ち。左手カメラで散策する、お花畑ブロガー

十年十色

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10年ですな。これまで片麻痺として生きて節目の年となりました。とりあえず、おめでとう自分。ホントよく頑張ってる。様々な問題に相変わらず苦しめられてはいますけど、それなりに楽しく生活ができています、かね? 辛くても10年もあれば嫌でも耐性が出てくるというもんです。もともとそんなに無かったし。乗り越えるのに闘志を燃やすタイプw


泣いたのは回復期でねーさんが海外から来てくれたときだけ。急性期で絶望し、回復期で生きる気力を振り絞っていたとき、顔を見せ抱きしめられたとき人目も憚らず号泣した。どこかでやせ我慢、空元気でいた自分、タガが外れ号泣しました。でもそれだけだった。片麻痺になって自分のカラダが嫌になり泣くことはなかった。こればかりは間違いなく。


記憶障害で忘れてるだけでしょ?  違いますね。性格上、そのような気持ちには絶対になりませんので。あーあ、やれやれと思うことはあってもシクシクと枕を濡らすようなことはしませんでした。そんなことより、どうやってこのあと生きていこうかと、それしか考えられなかった。これは独り身だったことが幸いでした。辛くても我慢すればいいだけ。


正直、急性期の1ヶ月間は頭が不鮮明すぎて、自分の置かれているを状況を全く理解をしていなく、単純に寝てるのが楽、車椅子に座らされるのが苦痛とそのくらい。その間、ちょっかい出してきた狂ったG(患者)に蹴り入れたり、深夜に若い看護師にケツひっぱたかれたりとかそれなりの事件はありましたが。クレーンで吊るされて大きな湯船に浸かったり、そうそう、忘れていけないのはPTが全く動かない足を毎日動かしてくれてました。


申し訳ない気持ちだったのを覚えてる。急性期は声出せませんでしたから。ワタシは緊急搬送された病院が大学病院で、回復期は附属のリハビリテーション病院に移りました。担当になった療法士の方々と相性が良かったことで、やる気スイッチが見事に入りましたね。自主練も含めホントよく頑張った。そのときに教えてくれた急性期のPTの人のこと。


実はとてつもないベテランだったようで、数年後にはリハビリテーション病院の技師長になってました。その時はお世話になりましたと挨拶に行きましたもん。質の高い回復期での6ヶ月間のリハビリを経て、外来リハに行くことになるのですが、ギャップがありすぎてがっかりというか、半分怒りみたいなものが芽生えましたね。でも近くではここだけ。


唯一、救われたのは装具選択でした、普通、回復期の最後に装具を作ってサヨウナラとなるはずだったのが、最後の最後でPTがミス。ワタシの住所が東京、県またぎとなり申請方法が違ったようでして。紹介状にて装具の選定依頼をしていました。そこで出会ったのが東名ブレースの『TAPS』でした。カーボン支柱とか、目がキラキラしましわ(*´∀`)


出来合いのモノはあったけど、自分の足の形に合わせて作れるものとしてはこれだけだった。そしてblogデビュー。何もすることがなかったのと、片麻痺となり生活する上で必要と感じたものをアップし始めました。オリジナルの杖や自転車用のライト(1)(2)(3)付けて紹介したり、ハンズフリーの傘を紹介したり、TAPSや後継機のRAPS(1)(2)(3)(4)など。


なるべく人のやっていないことを先駆者の気持ちで書きまくりましたね。特に装具のTAPSに関しては色々やりました。ネジ変えたり、図面引いてオリジナルで発注したり、カーボン磨いたり。障害者がやるレベルじゃないよ…。おかげで開発者の沢田先生から連絡来て、お知り合いになれたし、東名ブレースさんからゴニョゴニョさせていただいたりと、いつかきっと今後の装具開発に役立ってくれるはず。そして嫌でも出てくるパクリ記事。


よりによってパクった相手がセラピストというね(;´∀`) 嫌気が差したのです。情報の拡散という意味では良いことかもしれませんが、あたかも考え出したのはパクったやつで、元の情報として考え出したのにリスペクトされないことで嫌気が差した。片麻痺のカラダで考えて出したものを、健常者がカネになるとパクる構図が嫌になったんだな。


今はどちらかと言うと記憶の補完でしかありません。自分の身に何が起きていたのか、気持ちだったり、行った場所だったりと。高次脳機能障害となって、なにもないところから記憶を呼び戻すのはほぼ無理になった。ただ、きっかけとなる文字や絵(写真)を見ることで感動を覚えるほど記憶が蘇ることがある。大したことでなくても大げさに感動するw


ただ日常のなかで何気のないヒントや道具だったりは自分の思ってないところで反響があったりなかったり(;´∀`) まぁこれからも続けていくと思いますが…。ただ、仕事で余裕が無くなったことでアップする回数は減っていくと思います。余裕があるときじゃないとしっかりと書き込めないこともあるし。ショートVer作ろかな。どうすればいい??


カラダとしては2012年に左被殻出血したワタシ。発症当時の状況は酷いもんでした。残った障害は上肢右手全廃、下肢は杖と装具で歩けます。室内であれば僅かな距離(5m程度)なら装具なしで壁伝いに歩けます。運動障害としてはそんな感じ。一級一種の障害者手帳持ってます。ただ、これに加えて右目失明してますん。そして高次脳機能障害付き。


厄介なのは運動障害よりもこちらの高次脳のほうですかね。

構音障害   上手く発声できない。ドスの効かない可愛い声\(^o^)/
運動性失語  言葉や文字は理解、ただ言葉(文字は大丈夫)に上手くできない。
感覚性失語  会話が成立させるのが少々難しい。
記憶障害   物の置き場所を忘れる。
注意障害   2つのことを同時に行うと混乱する。
遂行機能障害 人に指示してもらわないと何もできない(特に仕事)。


とまぁ、こんな感じ。生活に支障があるかと言われると、そうでもない。声の可愛い残念なおじいちゃん程度。とても完璧な人だったらプライドが邪魔をして苦しむのでしょうが、しゃーないしゃーないで生きてきたワタシには、ある意味で開き直れる感じですか。そんなことより、優しい人間になれたのは喜ばしい。会話が難しくなったので、丁寧な言葉を使うようになったら、自然と優しい人になってました。怒るのめんどいし\(^o^)/


とはいえ、10年過ぎたから言えることでもあります。はじめの頃なんかはそれらの症状がもっと強く出ていて、余裕なんてまったくなかった。毎日がパニックといっても過言ではなかった。仕事できないときは、その気持を紛らわすためによく歩きました。気分を変えることができましたし、何よりも歩くことが片麻痺にとって良いことだろうと思ったし。


高次脳機能障害で、一番大きく変化が起きたのは、やはり働くという気持ちからでした。自ら親族に頭を下げ、はじめてCADを触る。練習のため週二で通い最低限のことができるようになったら働いてもいいよと言っていただいた。区の福祉センターの課長さん連れ出し、社長と担当部署の方々に自分の障害の説明をしていただいた。無事に社員となった。


その後は必死です。以前に書きましたがフルタイムまでの道程は長く、途中で厄介な自律神経の病に苦しめられる。今でこそ自律神経の乱れとわかり、それを引き起こすのが気圧配置とわかりましたが、当時は何がなんだか全く理解できずに苦しめられました。そのたびにいろいろな検査をして、問題ないとわかり一つ一つ原因を潰して来たのが良かった。


一歩間違えればメンタル的なところで薬でどんどん堕ちて逝くとこだったよ…。心療内科の薬物依存はマジで怖い。当時を考えると、なっててもおかしくなかったですから。原因が気圧なのでどうしようもないことですが、なんとか漢方(五苓散)で凌いでいます。フルタイムとなり、仕事の質も量も変わりました。依頼される量、頼られる量が増えました。


指示があってのことですが、その指示に従って作るもの、2DCADはもちろん、3DCAD、Illustrator、マイクロスコープ、三次元測定機のデータ解析など、それらを求める形で提出できるようになった自分が誇らしい。しかも左手一本ですべてをこなすという術はいわば職人芸といっていいだろう。芸人じゃない、職人技だw 片麻痺スペシャリストね。


このあとの10年生きられますかね。どうなんでしょう。カラダは残念だけど他の同年代よりは明らかに劣ってます。もともと脳出血になったのだって、糖尿病が原因だろうし。一旦治ったと(進行ゆっくりになっただけ)ほったらかしにしてた。血管弱ってますから。塩分怖いけど、少しづつ増えてるに違いない。嫌だねー。定年までは最低でも生きたいな。


それと、ネーサンのいる海外の旅行。それまでは死んでも死にきれん。何がなんでもね。チケット取ったにもかかわらず直前で中止。マジでムカついた。早くマスクを外せる生活に戻りますように。それと生きる気力を蘇らせてくれた療法士の方々、フジイちゃん、センガくん、カワハラせんせ、ワタベくん、コニシさん。現場実習で来ていたカワシマちゃん。ほんといい人ばかりだった。10年生きられました。ありがとうございました。


早いようで早くないね10年は。あっという間の10年ってことはなかったよ。なんだかんだで試練の10年だったのは間違いないですね。ただ目標に向かって一歩踏み出す、達成したらまた次の目標に向かって踏み出す。些細なことでも確実に一歩一歩踏み出してきた10年でした。ワタシみたいなポンコツでもしっかりと生きてきた10年だったと思います。


誰がなんて言おうとそれで生きてきたわけで無駄な説得力がありますから。それとblogのススメ。自分の気持ちを綴ることで改めて自分と向き合えるし、有言実行という言葉が芽生えるはず。自分に対して適度なプレッシャーをかけることで、半ば強制的に一歩踏み出すことが出来ます。ワタシみたいな記憶障害にも過去の出来事を補完出来ますからね。


Twitterは短文だし、知らぬまに見れなくなる。過去のツイートを掘り下げることは出来るけど、面倒くさいし。blogなら自分の記事を検索して、『片麻痺』などのキーワード入れれば自分の書いた『片麻痺』というワードに反応してくれて、過去の記事を掘り出せますから。片麻痺になってまだ日の浅い人がいれば腹筋とblogはやっとけと言い詰めたいw


長々と書きましたが、やりきった感がありますね。燃え尽き症候群的な…。ただ仕事はおかげさまで忙しくさせてもらってるのでそれが唯一の救い。まだ10年しか経ってないのにね。まだまだできることはあるはず。次の一歩になるものを探し出さないといけないな。まぁ、そのうち見つかることでしょう。これからもよろしくお願いいたします\(^o^)/

220102

謹賀新年

220101

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。


これが日の出だったらどれだけ良かったか…。
信仰心は無いけど、富士山を見るのは好きなんだな。
日が沈むまでのんびりと眺めて帰ってきました。


一年間、無理をせず、やれることをしっかりやって、楽しく過ごせれば良いかな。
のんびりとがんばりますわ(*´∀`)

今年もよく頑張った\(^o^)/

211201

いやー、まいったね…。今年もあと僅かですよ。だから何? といわれても困るのですけど。2021年が終わりますね。今思えば…。思い出話が出てこないという。記憶障害のなせる技なのか知りませんが、恐ろしいほどに時間の経過を思い出すことが難しい。頼まれた仕事は受け持つ期間は作業に集中できますが、収めた翌週には綺麗サッパリ忘れてます。


一ヶ月後なんて、なんすかそれ? 私がやりましたか?? と疑うほどのダメっぷりで、過去のファイル(依頼分を自分で日時を入れて管理)を見て、あ、ホントだとなりますから。終わってますね…。とはいえ一年間、特に大きな病気にもならずしっかりと仕事をこなせた思います。うんうん、よく頑張った(*´ω`*) フルタイムで働けるようになったし。


そうです。フルタイムで働くこと。このblogが週イチから月イチに変わるきっかけになった事(仮) 正直、まだしんどいですわ。高次脳のせいなのか自分の性格なのかわかりませんけど、作業に集中しすぎて家に着く頃にはぐったり。いかに週中休みが大事だったかということを思い知らさせています…。とはいえ、慣れてきたとは思っています(;´∀`)


先週水曜日は有給を使って個人的なプチ祝をしてきました。先月の第一週から週5で出社していましたので。無事にフルタイムで一ヶ月働けた祝w お祝いと言ったら例の場所。特に最近はお酒を飲みたいと思わないのでもっぱらコチラを利用しています。都営地下鉄で浅草橋まで向かい5分ほどで到着する『よし田』さん。美味しい鰻が食べられます。


夜も考えましたが、先にも触れたとおりお酒飲まないし、ご飯だけ食べて帰るのも失礼なのでお昼の13時ラストオーダーのタイミングで予約しておきました。ランチは混むのわかってたので。年に二回ほどしか来てないのですけど、一度、店主と大阪のお客さんと意気投合し、カメラやオーディオ談義をしてからは常連の扱いをされてるようです(*´ω`*)

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今回は考え深いものがあり、鰻を愛でて、米一粒一粒をしっかし噛み締めて味わってきました(*´ω`*) めっちゃ美味しかった! 焼きより蒸しに重点をおいてる感じなので絶妙な柔らかさで虜になってます。しかもタレが優しいのが良いですね。キレッキレの解像度高いやつよりこっちが好き。ダルダルなのも駄目だけどこのバランスが絶妙なんですわ。


また来年食べに来よう。次は第2誕生日? どうしようかな。とりあえずは土用の丑の日前後にしようかしら…。考え中…。そういえば、フルタイムで初めての給料が出ましたよ。自分が思っていたより若干多かった。何よりも家賃払ってもまだ以前の給料分残ってるという嬉しさ。これなら毎月5万円の貯金もできそうかもしれない。「かもしれない」ww


そのためには今の生活を続けなければいけないのでちと大変だけど、やれないことでもないので良いかなーと。いやー、いいですね、ゆとりができたのって。休みが減ったけど、これならやっていけると思いますね。ある意味、社畜でありブラックかもしれませんが、親族の会社なので、一言「ちょっと無理」と言ってしまえば元に戻してくれるだろう…。


でもそれは一生言うつもりはない。他の社員よりしっかりサボらず働くことで評価も上がると思います。むちゃくちゃはしませんけどね。残業何十時間とか絶対無理。普通にしっかり働くだけです。働ける間は。いつ働けない体になるかとか、あまり考えたくはないけどなる可能性は十分にあるから。失明したらアウトだし。今これが一番の悩みですかね。


老眼化が進んでて図面や手元の資料がとても見づらくなってきてます。片目しか無いので負荷が半端ないのかしら。ただの加齢なら諦めるのだけど、ちょっときついんですわ。残り僅かな人生ですけど楽しく生きたいじゃないっすか。そのためにはよく働くのが大前提。仕事できなくなったら寝たきりになって、すぐにくたばってしまうだろう。もう少し生かしておくれ。片麻痺の神様🙏 無神論者が言う言葉かね。都合が良すぎますよw

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さて、締めくくる前に、どうしても書きたかったことが一つ、『ありがとうHONDA』。たまらない結末でしたね。特に今年はラストイヤーということもあって、応援にも気合が入っていました。不穏な空気が流れ始めたイギリスGP、PUの年間規定数を平気で超えてきたメルセデス。昔、F1を観なくなった気持ちが蘇ってきました。ハミルトン…。(*_*)


残りの3戦は冷めてましたね。まあ徹夜して観ることができなかったということもあったのですけど、朝起きて結果を見ると案の定だよと。正直ガッカリしてました。ただ最終戦はギリ観られる時間帯だったので、正装して?(ジャージがRBRacing) 応援することに。スタートで終わりを告げたはずだった。それなのにまさかの最終ラップでしょ。泣きますよ。私みたいに特別な思いがあるものには絶叫でした。血圧どれだけ上がったんだろうw


いまだに、最終ラップの動画見るとうるうる来ちゃいますからね。映像時のホーナーとニューウェイの姿を思い出すとブワッと涙腺が崩壊しちゃうw まじでヤバい。そして何よりもトトの断末魔と言えるような『ノー、マイキー、ノー』が聞けただけでめちゃくちゃ気分が良かった。ざまーみろと。奇跡は起きたんだ。それを目の当たりにしたからね。これ以上のない有終の美を飾ってくれた。伝説に残るシーズンでした。最高です。


これほどまでに諦めない姿を見たのは初めてかもしれない。絶対的な王者と闘い、最終戦の最終ラップまで勝負を仕掛けたレース屋のレッドブル・ホンダ。夢は叶ったんだよ。ほんとにすごいとしか言いようのないシーズンだった。手堅くガチガチで王道の戦いで、最後まで計算通りと思ってたんだろうね。でも誰がなんと言おうと奇跡は起きたのです。


諦めない気持ちを持つことも大事だけど、それを実行し続けることはとても難しいことだと思います。それをやり遂げたマックスはほんとに恐ろしい子w 時代が求めてたんだろうね、新しい王者を。いい加減見飽きてたのかも知れないな。またかよと。やりすぎはつまらなくなりますから…。さて、来年はどうなるのかな。ハミルトンのリベンジはあるのか、そのまま引退してしまうのだろうか。F1以外なら見てて楽しいのにね。まあ良いか。


まー、終わり良ければ全てヨシ! 現場猫みたいなこと言ってますが、今年一年は良い年だったと思います。体調も問題なく、長い間苦しんできたことを一つ一つ解決して来れたのが良かった。時間はかかったけど。何とか無事に年を越せそうです。みなさまも、一年お疲れさまでした。良い年をお迎えください。来年はマスクが取れるといいな\(^o^)/

211204

フルタイムハイ

211109

これまでもなにかの記念にキーボードを買っていた気がしたので、過去のblogを読み返してみましたが何も出てこず...。うーん、そんな事無いはずなんだけどね。Twitterつぶやいただけなのかな...。わかんないや(´・ω・`) まぁ、何にせよ記念になることがあったときは、間違いなく買ってたということで。今回もフルタイム記念に奮発してしまったw
※死ぬ思いした過酷な検査が終わってのご褒美でした(2018/3)


買ってしまったのはHHKB(ハッピーハッキングキーボード) かなり渋い通好みのメカニカルキーボード。余計なものが削ぎ落とされてるオシャレさんのキーボードなんですわ。お値段は3万オーバー(;´∀`) ちょっと手軽に買える金額ではないですね。片麻痺になってからはパンタグラフタイプのペチペチキーボードだったんです。使い勝手が良かった。片手だけで打つのはストロークが少ないほうが圧倒的に楽なんです。それなのに...。


出版社で働いていたときは、アキバのジャンク屋で黄ばんでるApple 拡張キーボード(US)買ってきて一生懸命磨いてはよく使ってました。まだ書院(ワープロ)が全盛の時代、一人で古いMac持ってきてJeditで原稿書いてましたもん。某出版社時代の同僚達にMacの楽しさを教えたの間違いなく自分ですな。iMacが出る前のお話です。懐かしいねぇ(*´∀`*)


211110

それは置いといて。なんとなく戻りたいと思ったのです。気に入って使っていたMagic Keyboardの黒がいつの間にか購入できなくなってた事もあり、最近のプロダクトデザインがあまりいいとは思えなくなりまして...。もういいかなーって。そんなときにリターンキー、十字キーなどの動きが鈍くなってしまい買えどきだなーと。そしてフルタイム...。


普段なら絶対に買わない。でも今回は奮発した。だってさ、片麻痺になって1から覚えた仕事で会社から認められた記念ですからね。そして来年は節目の10年が待ってますし。このタイミングを逃したら一生買わないだろうと(;´∀`) ボーナスもあるし乗ってしまいましたよ。このビッグウェーブにw 出なかったらどうしよう。年越せないな(;´∀`)


今は眺めているだけでもニヤニヤしちゃう。だけどキーのピッチがこれまでのものと若干違うのか、本来打つべきものと一文字ズレてしまうことがある。そしてあれ?となってキーを見ると昼間は見えるけど夜間は少し見づらい...。ブラインドタッチは右麻痺になったときに失われた。利き手を失うのがこんなところに影響が出るとは思わなかったよ。


補助的に使っていた左手をメインで使うために、blog書いたりしていっぱい練習しましたね。少しはまともになったけど、まだ混乱することもある。たまに出る高次脳の影響と頭の中で左右の切り替えが上手くできていないことが影響してる感じ。分かってるけど動いてくれないもどかしさ、みたいな。文字を手で書けなくなったのも影響してるのかしら。

211111

そうそう、私、日本語のキーボード苦手なんです。ひらがな入るとキートップごちゃごちゃするでしょ。なので昔から英語(US)のキーボード使っています。高次脳になってからは特に苦手になりました。日本語のキーボード。とにかく目に入る情報はシンプルにしないと駄目で、キーを打つたびにアルファベット、ひらがなとなると気分が悪くなります。


アキバでキートップにオリジナルの印字サービスをしているところがあるというので、当時使用していた拡張キーボードの雰囲気のあるフォント付けて使いたいな。このままでも十分素敵なんだけど。すでにフォントは見つけてあるし、お店からフォーマットもダウンロード済み。ただ更に1万5千円かかる、レーザー刻印で色(希望不可)が微妙なんだよね。


M1のMac mini買える勢いw 何やってんだか。でも後悔するどころかむしろ盛上ちゃってるんだよね。だって確実に給料も増えてくれるじゃない。これまで抑えていた気持ちがプチ爆発。フルタイムハイになってるわけですわ\(^o^)/ 無事にお試し期間の2週間は乗り切った。脳疲労はあるけど中抜けがない分、効率は間違いなく上がってますね。


体調面も含めカラダを慣らし、早くフルタイムが普通なんだと教え込まないとな。まじで。会社から求められてる仕事も増えてますし。3Dスキャンのデータの解析は他の同僚に比べて一歩リードしてます(*´∀`*) 同時スタートで予備知識もないのに。ハンデを乗り越えるという、この障害になってから掲げた目標もいい感じで来てますわよ\(^o^)/

211108

人並な生活とは?

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先週書いたこと、フルタイムで働くという夢が叶った話。それなりに反響があって少し嬉しかったですね(*´∀`*) 全く同じ境遇の人がいるかはわからないけど、私にしてみれば奇跡の連続でしたし、努力を続け時間がかかっても諦めないで続けたことが良かったのかと思います。継続は力といいますし。諦めたらそこで試合終了的な。タプタプタプタプ...。


高次脳機能障害がどれだけ苦しいのかは、なかなか理解されることはないですね。同じ高次脳であっても、苦しんでるポイントは共通することがあったとしても、個人の感情などは育った環境で大きく変わってしまうし、これまでの生き方や仕事の仕方などで全く変わってしまう。裕福な人もいればそうでない人もいる。全く同じ人なんていないのです。


ワタシは裕福でもないし貯金もあまりなかったです。むしろ借金があったくらいでしたよ...。趣味に近い仕事していると、あんまり儲けようとか思わず、その日その日を食べていければいいという感覚でした。ネーサンが残って結婚という話になれば別でしたがね。ある意味で私の人生は40代で終わっていました。あとは死ぬまでダラダラと生きていく。


そんな感じがしていました。ただ働く意欲はあり、ニート生活保護で生きるという気にはなれませんでした。そこそこ楽しく生き、数年に一度帰国するネーサンの居場所のためだけに生きてきましたね。お互いの母親が立て続けに亡くなって、辛すぎて日本に居られないと海外に。いつでも帰ってきて良いんだよと。居場所を残すためだけ、みたいなね。


そんな生活をしていたときに、脳出血で倒れてしまった。無気力の一ヶ月、半年の生まれ変わるための努力期間を経て、娑婆に戻った。戻ったと言っても無職、そして一通りの財産を処分されて、実家に強制的に軟禁。最も会いたくない人と生活をしなければならず、高次脳機能障害というものを理解されずに、お互いノイローゼになるほどに憔悴してた。


このまま居たら何するかわからんと、親族の会社に頭を下げに行った。なんでも良いので働かせてくださいと。その後は先週書いたとおりなんですけども。そこから100万コツコツとためて、家を出た。傷病手当金は入院費等に全て支払われていましたわ。医療費払ってくれる親ではない。当たり前だけど。手元には残っていなかった。そこから100万...。


区の手当と、アルバイトで100万円。自宅で最低限の生活してれば何とかなりました。障害年金は1ヶ月の不足分により申請できず...。知ったときは絶望的でしたね。でも100万で無事に脱出。晴れて自由の身でした(*´∀`*) 5.5万円のボロアパート、幹線沿いで常に震度2から3の揺れが発生、そして騒音...。それでも圧倒的な開放感。感無量でした。


ただ生活はギリギリ。手取り12万で5.5万円の家賃。生きていくのがやっと。でもガリガリで何も食べられない、ということはなかった。逆に一日に2万歩近く歩いてたことが無くなったため、むしろ運動不足でブクブクと太った(;´∀`) 実家に戻りたくなくて無駄に時間掛けて帰っていた。16時半に仕事終えて21時に帰宅とかそんなことをほぼ毎日...。

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それがやっとだよ。まともな生活ができそう。会いたくない人と一生会わなくなったことで実家とは縁を切り、遺産を弁護士介して遺留分を確保。僅かな金額を銀行に預けて定年後の受け取りにしておいた。なのでいま現在はまだ変わらずに厳しいのです。それがさ、週4から週5になるだけで色々変わってくる、住宅手当も満額になるし4日分増えるし。


新入社員より若干いいかな? 中小の。いやー嬉しい。試しに賃貸の情報をwebでチェックしてみると、まともに住める場所が増えてて驚いた。コンロが2口だったり、ベランダがあったり、場所にもよるけどマンションでエレベーターが付いてる場所があったりと、目がキラキラですわ。2年後までに引っ越そう。新しい冷蔵庫と洗濯機買わないとな。


それより、まずは仕事に慣れないといかんね。2日働いて1日休みという週休3日で仕事していたわけですし。まじで楽なんですよね、週休3日。これが5日間連続業務となると、今のカラダでは未知の領域。体力に自信があったとしても、脳疲労だったりメンタルの影響がどのように出てくるかわからない。そんわけで、今週から水曜日を仮で出勤します。


休日出勤ではないけどお試し的な感じで。ちゃんとお金もらえます(*´∀`*) 週終わりでの疲労感がどれだけのものになるのか全くの未知数。せっかく契約結んだのにやっぱ無理なんで戻してくださいなんて死んでも言えませんよ。まぁ、死んだら言えるわけないよね...。問題はとても大事な3連戦。これは生で観るのは諦めよう。前回で懲りましたわ。


アクビ出まくってたし、マスク越しでもバレてましたから...。睡魔のとの戦いは尋常ではなかったです。まずは仕事最優先で備えておかないとね。それと大事なことなんですが、しばらくblogの更新を休止しようと思います。一つは水曜の休みが無くなったことで趣味の撮影が出来なくなる。土日はしっかり休みたいと思っていますし。しばらくはね...。


本来なら来年の1月で更新ペースを落とすことを考えていました。10年経つと同時にやろうかなと思ってました。それがまさかのフルタイム雇用が来てしまった。早くても来年度を目標にしていたので。なので、少し早いですが更新をお休みというか、月イチくらいにしようかなと。月イチであれば写真も撮れるだろうと。文字だけじゃつまらないし...。ネタがないわけではないけど、一日フルに使って書くことになるのでちょっとキツイのよ。


それと、ネーサン。分かってると思いますが、ほんとに血の繋がった姉ではないし、義姉でもないです。ギシなら義肢装具が良いですw 年上でご両親に挨拶まで行った関係のお付き合い。タイミング悪く離れ離れになっていますが、今でもお付き合いは続いています。本人曰く腐れ縁と言ってますが。いきなり何言い出すんだとと思われるかもしれませんが、一応自分はまともですよと。うちのネーサンとかよく書くし。勘違いしないでね!

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三年越しの願いが叶う

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先月、考課面談がありました。普段の業務だったり体調だったりと色々と報告をした。考課面談自体は入社当時はそのようなものはなく、今の部長さんが入ってから行われるようになりました。今の時期となると冬のボーナスとかも関係してくるのかしら。やはり大手企業で千人以上の部下を動かしていた人は違いますね。凄すぎて良くわからん(*´∀`*)


さて、私の評価はというと、今回は随分良いみたい。仕事の内容も重要な仕事も任されるようになりました。ネックとなる高次脳機能障害、特に記憶障害はなかかなかどうして苦しめられてはいましたが、自分なりに対策を施して、スムースな環境を整えています。道具や知恵を使ってね。できる限りの対策を練って働いています。もう10年、ですからね。


特に評価されたのが、IllustratorSolidWorksの操作。これまではちょっと使える程度だったのか、うちの仕事で使える程度の実力をほぼ備えられたことが大きいです。よく頑張ったIllustrator。マイクロスコープで写真を撮り、それをIllustratorで取り込みトレース。出来上がったパスをdxfファイルにして、SolidWorksに読み込む、と。大変な作業。


Illustratorの使い方としてはDTPと違ってかなり特殊かもしれませんが、今のところ私にしができないことなので、そこは自信持ってたりします。もちろん通常の取扱説明書などの作成依頼などもあり、修正依頼から変更まで色々とやっています。内容はかなり修正が入ることの多い仕事。再修正があっても顔色変えずにコツコツと地道な作業を続けます。


特別、急ぎではないけど、誰かがやっておかないと困る仕事とかあるじゃないですか。それらの仕事が一通りできるようになった。面倒くさい仕事だな、誰かやってくれないだろうか? というのが、私に周ってくるようになったのです。これまでもそんな感じの仕事でしたが、質と量共に増えてきたのです。定時でダッシュで帰ることも少なくなった(^_^;)


考課面談の最後になにかありますか? と言われたので、しっかりと伝えた。『フルタイムで働かせていただきたいです』と。部長さんは、しばらく考えて、体調面はたしかの夏前のめまいが一度あった程度だったし。水曜休みだと楽じゃない? でも私は首を振りました。リフレッシュにはなるけど、一日休むことで業務もリセットされてしまう、と。

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特に私の仕事は細かく、そして量も多い。一度流れに乗れば延々と続けられる仕事。特に図面の修正箇所となると覚えておかないと行けない箇所が多々あり、メモに残していても休むことで、頭もリセットされてしまう。休み明けにまたはじめから記憶し直すとか、結構しんどいです。なのでリフレッシュはできても仕事の効率は良くないですねと伝えた。


体調面は特に問題もなく、ここ最近の仕事の内容が部長さんの手足となってやってる感があって、チャンスなのではと密かに思っていまいた。一旦、持ち帰るということで考課面談は終わった。個人的には来年度はフルタイムで働ければ良いなーと密かに思っていました。来年の1月で片麻痺高次脳機能障害になって10年との節目の年。なんとかしたい。


しばらく何もなく普段の業務をこなしていました。相変わらずコツコツと地道だけどとても大変な作業。先週の火曜日の午後、部長さんに呼び止められる。丁度、役員会が終わって戻ってきた時間。役員会で私のフルタイム雇用が決定されて、後で総務部長から呼び出し食らうので準備だけしておいてくださいと。なになになになに!? 早くね??(^_^;)


親族の先輩からやったねと。はい、ありがとうございますって。ついにキターーー!!! 三年越しの願いフルタイム雇用が来ました。これはお祝いせねばと思うものの、なんの予定も決まっていない。とりあえず今夜はピザ? いやいや、そんなのは嫌だな。記念になるものなんか無いかしら?? そうねアレしか無いよね。夜やってるかな\(^o^)/


というわけで、待ち望んだフルタイム雇用になります。今月の21日から(*´∀`*) 長かった。この会社に泣きついたのが2013年の4月。福祉センターでのリハビリもやめ、自ら頭を下げに行った。何でも良いので仕事させてくださいと。千葉工場で掃除のおじさんでもいいやとも思った。でも社長(現会長)はとりあえずCAD覚えろと。そこから始まる。

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週二でCADを教わりながら約5ヶ月。週三で真面目に来たら最低賃金だけど時給出すよと言って頂いた。嬉しかったですね。何もわからず、当時は高次脳も強かった。そんな私を雇用してくれました。会長としてはCAD覚えさせて、手に職をつけて、いい就職先が見つかったらそっち行って構わないというスタンス。恩義を感じた私は骨を埋める覚悟(^_^;)


思惑違いましたね会長。居座らさせていただきます(;´∀`) それからは死にものぐるいです。役に立つように3DCADにもチャレンしました。血反吐吐きましたね。雇用形態も少しずつ変わり、週四の7時間、週四の8時間、そして今回のフルタイムと。もう感無量です。これからも少しずつでも精進していこう。まだまだできることがあるはずだから。


総務の部長さんから雇用の説明を受けました。体調面と評価の話をされた時、会長を始めとする役員のすべての人達から評価が高いと言ってくれた。うちの部署の部長さんは一応親族ということもあって気を使い、よくやってくれているとお世辞で言ってるだけなんだろうと、正直思っていましたが、そうではなく、本当に評価されてるということらしい。


なんだか嬉しくって涙が出るね。個人で仕事してて某大会で優勝した事があった。仕事に対しての自信もあった。でも片麻痺になったことで仕事も趣味もできなくなり苦しんだ。切り捨てるしかなかった。20代からやっていた仕事でしたから、できなくなるのは本当に辛かった。でも気持ちを新たに必死で頑張った。その評価と思えばさ、感無量になるよ。


先週の水曜日に墓参りに行ってきた。その前の週が母親の命日でしたので、非稼働日の水曜に行こうと思っていた。天気は微妙でバス停までは霧雨から小雨。傘持ってこなかったので残りは全てタクシーかなと。電車で横浜方面へ。お墓に近づくに連れ晴れ間が出てくる。母親に歓迎されてると勝手に思う。そして嬉しい報告を済ませて帰ってきました。

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アクシデント(T_T)

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前回の最後に載せた写真、幻となった日本グランプリのトロフィーなんです。きっとマックス・フェルスタッペンが取ってくれたであろうファーストプレイスのトロフィー。少し前に行ったとき、受付のネーサンに、はぁ? 何言ってるの、予定にもないわー、キメーよ。と、言われることはなかったんだけど、展示のスケジュールは予定にあったのね。


まぁ、少しムカッとしましたけど、多分私の訪ね方が駄目だったんだと言い聞かせることにします。なんか意味もなくプンプンのプン。意味はあるんだけどね。ちょっと嫌な感じだったのです。メーカーの、特に本社のすぐ下でお客さんに対する対処の仕方が違ったのでは? と思った。高次脳持ちで言葉を選んで訪ねたのですが。障害抜きにしても残念な対応でしたわ。カメラ持っていきなり訪ねたのが行けなかったのかな? よくわからん。


まぁそんなことはどうでも良くなったんだけどさ。結局撮れたわけだから。トロフィー。金属3Dプリンターを使い、日本の伝統柄である麻の葉模様を球体にしたデザイン。台座となる部分はピストンのような仕上がり。タイトルスポンサーがHONDAだっただけに作り出されたデザインでした。ポディウムでタッペンが掲げる姿が見たかった。悔しいね。


先週はほぼオリジナルと言っていい、片麻痺用シューレースを使った靴をお披露目しました。シューレースにパラコードを使うのはよくあることではあるのですけど、片麻痺用にアレンジし、しかも片麻痺患者本人が作ったという意味ではオリジナルだと言い張ってるわけで(;´∀`) 面倒くさいやつ...。でもオンリーワンな靴でご満悦なのね(*´∀`*)


下ろしたての靴は雨の日に履きたくはなかった。気持ちも変わり月曜日から履き始めました。これまでの履いていたMW1501との比較がどの程度のものか気になって確かめながら履いていました。今回の新しい靴は日本では売っていないもの。USのアマゾンで購入しています。6EのXX-Wideという幅広の靴。もしかしたら日本のサイズより若干大きい??


幅は間違いなく新しいモノの方がある。なんかゆったりしてる反面、クッション性があまりよろしくない。ちょっと硬くて重い感じですかね。でもまー、これもいずれ慣れていくだろうとあまり機にせず’履き続けて初日を終える。翌日の火曜日、家を出たあと、少し嫌な感じがしたのです。でも慣れるまでだから仕方がないと違和感を覚えつつ履いていた。


電車を降り、駅から歩き出したときに異変が...。小指に強い痛みが発生。歩き方に問題があるのかなーと、試行錯誤しつつ会社に到着。すでに激痛と言えるレベルに達していた。すぐさま靴を脱ぐと、まだ新しさの残る白い靴下の小指付近にまさかの出血...。まじかよ(;´∀`) そーっと靴下をめくり、出血の状態を確認すると。皮がベロっと剥けていた。

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会社の薬箱から絆創膏を取り出して応急処置。痛いわけだわ(T_T) 考えられる原因としては前より幅広になったことでの靴内部での暴れ。細かく前後左右に動いた事による擦れですかね。試しに昔使ってたラテックスゴムを当たる場所に貼り付けて履いて歩いてみる。痛みは少し軽減できた。ここで新たに気がついたことが一つ。甲の部分が低いかも。


もしかして日本人向けのサイズになっていないのかな。同じ6Eでも日本モデルの甲高幅広、海外モデルの甲低幅広(よりワイド)。簡単に言うとそんなサイズ感なんですわ。帰りにキズパワーパッド買ってしばらく様子を見ることにした。仮の対策として、当たる箇所にラテックスゴムを貼り、キズパワーパッドでダイレクトな痛みを抑えられるか(;´∀`)

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ただ、小指のダメージは大きく、なるべく圧迫しないようにしたい。ちょっとしばらく新調した靴は再調整が必要なので一旦やめて、小指が完治するまで前の靴を履くとしよう。試しに履いたら痛みもあまり感じられないので、多分、甲の部分が低いのが原因っぽい。新しい靴はスポーツタオルをキツく巻いて、ギチギチにしてこれでもかと詰め込んだ。


無理やり詰め込んだのでパンパンになっている。これで少しは甲高の調整ができそう。これが駄目ならシューキーパー買って改造して無理やり甲高にしてやる。靴壊れちゃうかな? なんとかスポーツタオルギチギチ巻を詰め込んだ状態で拡張すること望むばかり。足の小指はもう一週間くらい掛かりそうだな。まず完治させてからじゃないと無理だね。


せっかくオレンジのシューレースに目が馴染んできたところだったのに、しばらく履けないのは少し悲しい(T_T) 中途半端に治したところでまたすぐにベロっと逝ってしまうのだけは嫌なので、しっかり完治させてから履くことにします。もう一足買ってるんだよなー(T_T) まさか甲が少し低いとは思わなかったよ。矯正ギブス的なものカモーン(T_T)

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アメリカ開催はしんどいね。早朝4時スタートとかさ(^_^;) しかもよりによって、ハラハラドキドキのレース展開。チームの強気の作戦で、見事勝利したフェルスタッペン。最後は見事な逃げ切りだったよ。強気な作戦もホンダパワーがあってのことだよな。これまでだったら追いつかれてラスト数周で抜かれてたもんなー。頼もしい限りだわ\(^o^)/


このあとはメキシコ、カタール、ブラジルと一気に勝ち上がって念願のシリーズチャンピオンになってほしいものだね(*´ω`*) ただ、このあとの開催は深夜枠が続くのよね。メキシコも朝の4時でしょ。その後は夜中の1時とかそんなのばっかり。正直、体力が持つとは思えないよ...。毎回こんなレースされては...。早く起きれる4時スタートならまだしも。


1時スタートとかちょっと生で見るの無理っぽいな。有給取る? いやいや、考課面談で評価高かったのに、そんなことしたら印象は間違いなく悪くなる(^_^;) たださー、4時起きで2時間レース観て、出社の準備を始めると感覚的には徹夜明けした感じになるのよ。朝日が眩しすぎる。その後は睡魔との戦い。自分との戦いが待っていたのですわ(~_~;)

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