goodluck+

重度脳血管疾患を経験済み。障害者手帳1級1種持ち。左手カメラで散策する、お花畑ブロガー

ヒョー、ショー、ジョー!

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我が社の今年の創立記念日は特別でした。特別といっても私だけなんですが...。ちょっと大げさでしたかね(^_^;) ワタクシ、この会社に入って10年と5ヶ月が過ぎたようでして、永年勤続表彰されたのです。いえーい、おかーさん見てるー...。きっと天国から祝ってくれてるだろうな。うんうん。それにしてもまー、激動の10年でしたかね\(^o^)/


何でもするので雇ってください。と、お願いしてから10年が過ぎた。区の福祉課の係長さん連れてきた高次脳機能障害のある私。ひーるさんは、これがだめアレがだめとか、私の代わりに色々と状況を説明してくれた。恥ずかしい話だけど、何でもすると言っておいて、何ができるんだ? 何も出来ないでしょって。自分でもこりゃ無理だねと今思う...。


いやらしい話だが、じーさん(会ったこと無い)が興した親族会社なんです。入院当時、生きていた父親に、Sさん(現会長)にお願いして入れてもらえないか聞いてくれと。再三頼み込んだが無視され続けた。役員やっていたからそれくらいお願いできるだろと。いつも話をそらせ取り合ってもらえず。あー、無理だわと。こいつをアテにした俺が馬鹿だと。


退院後、区の福祉センターで自立訓練を1年続けた。手や足が動くようにはならなかったものの生活環境で自分でできることが多くなり、かなり充実していました。自立するには仕事しないと始まらないなと。ただ、勤めていた会社はガテン系、クルマも運転しなければならなくて、非現実的。昔の出版社を頼ってとも考えたが、こんなポンコツ雇わない。


そもそも、ひらめきがあってこそできる仕事ですからね。クリエイティブ系は二度とできる気がしません...。あとは親族の会社でと考えるのです。東京から離れた場所の工場で掃除夫で雇ってもらえないかなーと考えたんです。ひっそりと静かに暮らしたかった。そこで福祉センターの係長さんにお願いし、一緒に来てくださいと。あとはなんとかすると。


これら全て、アポ取りの電話をして、予定日を決め係長さんを強制連行などの段取りを一人で決めた。父親は一切通さずね。役員と言ってもお飾り的な役員なのでなんの権限もないのは知っていた。なので、今の自分のやる気を伝えるため、必死さをアピールしたのです。このままくたばりたくないと。自分自身の足で前に進みたいと猛アピールしました。


会長の兄が先代の社長だった。でもずいぶん早くに他界。兄に子供の頃ころからよく懐いていたのを知っていた。初めての就職時に保証人になってくれたのも亡くなったお兄さん。多分だけど、そんな関係を知ってか、いや無理だわと言えるわけがないだろうと。したたかな高次脳機能障害者。でも利用できるものは全て利用する。それしか無かった...。


会長が、すぐにどうこうではなく、できるか出来ないか、しばらくおいでよと。いきなり工場で掃除夫と言っても困るし。技術部で余ったPC使ってCADの練習でもしてみない? 週二くらい来れないかと。それでもし出来るとなったら、もっといい就職先探していっても良いしって言うんです。そのありがたい話を聞いて、少し安堵しましたね(^_^;)


そこから血の滲むような努力をしました。三ヶ月を過ぎたくらいに、会長がやってきて週三で来れるならお給料出すよと言う。2DCADくらいなら高次脳でも使えることがわかり、過去の手書き図面をCAD化する仕事が結構あり、出来る人間が必要でした。しかし開発を進めなければいけない技術部の方々。そんなことに時間を割くことはできない...。


好都合な人おりますわーとなったわけ(^_^;) 2DCADは大抵のことが出来るようになっていましたし、一人で手書き図面を黙々とやれるのが却ってよかった。いちいち上司にあれやこれやと聞いていたらいつまで立っても終わりませんからね。お互いに良かったんです。ただ週3日だと時給なので、一人で生活出来るほどの金額ではなかった(´・ω・`)


とはいえ、お給料が支払われてから10年と5ヶ月が経ったわけです。時間軸がもうわからないのですが、週3が週4になり、7時間勤務が8時間になり、そして念願のフルタイムとなりました。仕事も手書き図面も殆どなくなってしまった。すなわちCAD化が済んだのです。そうなると次の仕事を探さないといけません。そこで目をつけたのは3DCAD


同僚達からは無理だなと言われ続け、諦めていました。でもそれしか可能性が無かったのです。年に二回ある考課面談のとき、上司に辛抱強く説得しました。3D使えるようになりたいと猛アピール。会社に来てボーっとして定時になったら帰るとか苦痛以外の何物でもない。お役に立ちたいんですと。そうしたら分厚いマニュアル渡されてやってみなと。


同僚が無理と言っていたのは記憶力もそうなのだが、片手では難しい操作が多いのです。基本はキーボードとマウスの同時使いが普通。ただそこは、2DCADで培ったテクニックで、っていうかアイテムを使ったのです。ゲーミングマウスを使ってね。各コマンドをマウスのボタンにそれぞれ割り当てて、片手で操作できる仕様に仕上げていました👍

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分厚く、訳も曖昧で余計に混乱をきたすトレーニング本だった。こいつのせいでぶっ壊れた

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愛用中のRazer Naga Left-Handed Edition マウスは色々試して10万円は使ってる

ここからは地獄の試練でした。2DCADと3DCADではレベルが違いすぎました。しかも同僚の邪魔にならないように一人で分厚いマニュアルで覚える作業が苦痛でした。このとき初めて自律神経が壊れ、夜中に救急車で運ばれること数回。よく吐いてましたね。それでもやめずに3DCADを覚えました。今では社内製品の3Dは作れるようになってます。


ここは自慢です。このカラダになる前から使ってたとかいうのなら、わからなくもないですが。このカラダ(高次脳機能障害)になってからSolidWorks(3DCAD)を使えるようになったのってなかなかだと思うんですよ。普通の会社なら100万オーバーのソフトウエアを障害者に与えるとかまずありえない。ここは親族パワーでコネ使いまくり\(^o^)/


でも良いんです。そもそもそれが目的でしたので。親の脛はかじりませんでしたが、コネはこねまくってます。でも、ちゃんと恩返しのつもりでね。拾ってくれたからには全身全霊で恩返しをしたいと思っていますから。今では3DCADのないモデル。パーツ、アセンブルを作りつつ、3Dスキャナー、マイクロスコープの観察&計測。Illustratorのパスで作ったり、古くなった取扱説明者などの作成を任されたりしとります。ほんと色々と。


一部の作業は私のほうが早いので助かると言われることがある。昔、旧blogに書いた”健常者に「ハンデやるよ」と言えるくらい、しぶとく生きてやる”と書いていました。ニュアンスは少々変わりますが、ある部分の作業に関しては絶対的な自信があり、ハンデ上げましょうか? とか冗談で言えるようになった。高圧的ではなくもちろんフレンドリーにね。


これも普通の人間と接してくれる優しい同僚や上司のおかげ。嬉しいのですが、全然障害者扱いしてくれないのw 少しはしてほしいんだけどさ。もし、他の職場だたらと考えてしまうと、高次脳持ちの片麻痺なんて相手にはされないだろうね。他の職場行ったこと無いからわからんけど。そこは割り切って一つの仕事をコツコツと続けるしか無いのよね。


あと何年働けるかわからないけど、まだまだ自分にできることがあるはず。メインの設計は出来ないにしても、それに付随するサポートはいくらでもある。実際、面倒な作業でも私の作業が早かったりすることも最近増えている。自分でも頼られているという嬉しさもある。精進していきませんとな。自分が求めていた自立とはそういうとこなんだなと。

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手書き図面の残骸たち。全てCAD化してやりましたわ\(^o^)/