goodluck+

重度脳血管疾患を経験済み。障害者手帳1級1種持ち。左手カメラで散策する、お花畑ブロガー

覚悟したね…。コロナのバカ(T_T)

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7月末にネーサンからSOSの信号を受信した。まぁ、予想通りでしたけど…。住み慣れた実家は姉が一人で住むために新築されていたので、住心地は決して良いものではないだろうと。そして姉の性格が最悪なのも知っていたし…。住環境だけではなくメンタルもかなり蝕んでいました。『もうここには居たくない』と。じゃー、どうするのよと私が聞く。


ひーるのとこ行く、とネーサン。いやいやいやいや、無理だし。人の住む環境じゃねーからと(;´Д`) 振動と騒音、何よりも部屋が狭い。そもそもスーツケースの置き場所すら無いよと。それでも実家には居たくないというのです。じゃーどうするかと、宿泊施設を調べるも現実的な金額ではなく、あきらめムード全開。しょうがない、うちに来ますか。


ただこのまま来てもらっても、2人で住める状態ではないので少し待ってくれとお願いをした。これを機に断捨離を決意。このアパートに移り住んでから、全く手のつけなかった衣類、いつか必要になるかもと持ってきていたガラクタ類。タンスを占有していたものを捨てることにした。片麻痺になり生活も趣味も変わり、持っていても思い出にしかならず、いつか使えるようになるかもとか、そんなのばっかりだった。でも10年でしょ…。


今はいらない。きっちり未練は断ち切れてるし。できんものはできんと。それらの情報のインプットを一切やめましたからね。で、以前デスクチェアの廃品回収していただいたところに電話、軽トラ一杯の回収サービスをお願いした。一応出来る範囲で仕分けはしておいた。リサイクルできるものは捨てずにリサイクルしているようだし。とても有能だわ。

これでスーツケースの置く場所も確保し、かろうじて5.5帖の部屋でもギリ生活出来るようにはなった。ネーサンを向かい入れる環境は整った。とは言えないけどさ…。でも、さんざん抵抗したんだけど、一緒に居たいというので仕方なく良いよと言ったんです…。前に同棲してたときと環境が違いすぎていたので、本当に大丈夫かなと心配していました。


忘れもしない8月5日。ネーサンからメッセージが来る。「今新富士駅に着いた」と。まだ12時回ったばかりで、合流するのは仕事が終わってから。姉の都合で早く出て! みたいな状況になっていたらしい。ありえんわ(;´Д`) その間どーする? と聞くとWi-Fiあるところで仕事するから大丈夫だよと。なんだかなー。でもどうすることもできないからね。


15時の新幹線でこちらに来ることになっていた。ワタシは15時休憩が済み、残りのわすかな時間をソワソワしながら作業を進めていた。なんだかんだ言っても嬉しいのよ。そんな浮かれていたとき、斜め前に座る上司の電話がなる。なんか深刻な話をしてるっぽい。電話が終わり、私達に「父親がコロナになったので帰らなければいけない」と。マジかよ…。


濃厚接触者というやつ。ワタシは頭真っ白。すでに東京に向かっているネーサンに来ちゃ駄目ということは出来なかった。ただ、何かあったとき用に準備だけしてもらおうとメッセージを送る。この段階で、濃厚接触者になっているのは上司だけで、職場でもマスクはもちろん手洗い、換気なども徹底していた。なので大丈夫だろうと思っていたんです。

定時になり、急いで品川駅まで行き、ネーサンと無事合流。なんかごめん、謝るワタシ。まだ会社の人がなっただけでヒールがなったわけじゃないから大丈夫だよとネーサン。その日はどこへも行かず、まっすぐ我が廃城へ(´・ω・`) その間、ハグもなし、マスクも取らず、除菌スプレー&除菌シート使いまくりで食事も別にした。万が一のために。


でも翌朝起きると、喉に違和感を感じることになった。すぐさま近所に耳鼻科にWeb予約をして徒歩で向かった。そこで一時間近く待たされムカつきはしたものの、特に問題ないですよと。体温も平熱だったし…。100%信用はしていなかったので自宅に帰っても、ネーサンとは距離をとっていた。しかし残念なお知らせのメッセージがやってきた。


上司からの陽性という結果。まじかよと。同じ部署でクルマで一緒に出張していた同僚もヤバいとなり、慌てて抗体検査をしてもらうと言うメッセージが流れてきたのです。ワタシは耳鼻科行ってきた後なので大丈夫と言いましたが…。違和感は変わらずでなんか変だった。翌朝、目が覚め、なんとなくボーッとする。もしかして熱あんじゃね? って。


38℃手前…。まじか(;´Д`) 慌てだすのです。まず東京都のコロナの感染症対策を調べ、発熱外来のクリニックを探すのです。大きな病院はどこも一杯で予約ができない。近所は全滅だった。地図から探しだす『診療・検査医療機関アプリ』で地道に一つ一つあたって行く。必死だよ。このまま会社は行けないし、何よりネーサンに移したくはない。

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やっと、バスで行けるクリニックを見つけ出すことに成功。予約も出来た。マスクをして向かう。一緒に行こうか?と言われたけど、移したくないから来なくていいよと。日曜日の早い時間ということもあってバスはガラガラだった。まだ咳もなく熱だけだったのまだ良かった。でも陽性となったら帰りはどうするか…。考える余裕なんてなかったな…。


クリニックには入らず、指示されたとおり入口の前で電話をする。すぐに裏に回って待機するように指示された。裏には質素な診察スペースがあり、扉や窓はすべて開放され十分換気がされていた。しばらく待機してると、完全装備のドクターが入ってきて検査をしますと、長い綿棒をグリグリと突き刺す。悶絶です(T_T) しばらくして『陽性』と宣告。


まじか。陽性となったらまず何をするのかすらわかっていないというのに。それよりも先に一番近いホテルに10日間ほど退避してもらわなければと、すぐにメッセージを送った。前もって調べていたので一泊6000円位で即予約した。スーツケースは一人では持ち出せないので、帰るまで待っててもらい、なるべく触れないようにして一緒に下ろしました。


で、ネーサンはホテルへ。そして抗体検査を受けてもらうことになった。そしてワタシはドクターのはっきりとしない説明を受け薬局からの連絡を待つことになった。抗ウイルス薬で細胞内に侵入した新型コロナウイルスの増殖を阻害する作用のある、ラゲブリオという禍々しい色したカプセルの薬。重症化リスクのある人に向けた薬だったようです。

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そのあたりの説明が曖昧すぎてはっきりと説明しないドクターでした。これらの話は自分で調べてはじめてわかった話でしたから。今でこそ何日も経っているので冷静に書くことが出来ますが、当時はかなりキレてました。不安しかなかったですもん。得体のしれない病、普通じゃないカラダのワタシがどうなってしまうのか…。そりゃパニックでしたよ。


その中で、最優先だったネーサンの安全確保。翌日受けた抗体検査では陰性でした。ほんと良かった…。ワタシはというと、陽性と宣告された日の翌日から、いよいよ咳が出てきた。ラゲブリオは届いていたので毎朝飲むようになっていた。熱は38℃後半でずーっとそんな感じ。倦怠感はありつつも、咳が出なければ普通に生活は出来ていました。


ただ咳がね…。出始めたら地獄(T_T) 全く止まらないのよ。咳が出続けると息を吸うタイミングを失い、どんどん辛くなっていく。それの間隔がどんどん狭まる感じ。恐怖しか無い…。今でも二度とごめんと思ってますもん。あんな経験は二度としたくない(;´Д`) 自宅待機してから三日目からこの咳との戦いがしばらく続いた。勝つことのない戦い…。


咳がだんだん酷くなり、薬でなんとかならないかとクリニックに電話するとドクターが出て、主治医が居るならそっちでやってくれと。はぁ? 何言ってるんだこいつ💢💢💢 何を言っても主治医にやってもらえの一点張り。本気で殺意が芽生えた。咳止めの薬が出てなかったんだよ。止まらなくて苦しんでいたのに。埒が明かないので主治医に連絡を…。


主治医は薬出すよと行ってくれたが、じゃーどうする?となった。退避したネーサンに頼んでも良かったけど、その日は大事な用で出掛けていたので営業時間外になってしまう。そういえば、以前何度か薬を届けてくれた近くの薬局を思い出した。電話して趣旨を伝えたところ快諾していただき、すぐさま主治医に連絡、手配してもらうことになった。


薬局が来て玄関越しにやり取りをし感謝を伝えた。結局これがきっかけで、今までバラバラだった薬局はここに統一。かかりつけ薬局となった。薬は咳止め用にアストミン、カルボシステイン、そしてラゲブリオの3つで凌ぐことになるのですが。熱の方はというとラゲブリオ飲んだせいか寝てる間に汗びっしょりかいてほぼ平熱に戻った。あとは咳だけ。

翌日、さらに咳が悪化。薬が効いてる間は安全なのですが、切れると咳き込む時間が長くなった。とうとう辛すぎて夜中にファストドクターを呼び出す(T_T) 本気で死ぬと思ったからね。本当に怖かった。で来てくれたのは若い女医。たださ、名前がメールで送られてきたので、どんなやつか調べてみたら、インスタが出てきた。パリピのネーチャン…。


最悪だ。絶対ハズレを引いた。案の定外れだったけど。完全防護で来て、薬だけ持ち込んで話もろくに聞かず、片っ端から薬を置いて、ささーっと帰っていった。なんなのよ。ファストって早く来てくれるけど、早く帰るって意味だったんだ。これで都に高い請求書出すんだろうなと。コロナ関連は外れまくった医療関係者達だった。二度と利用しない。


発症から5日目に都からの救援物資が届いた。食料品関係のやつ。結構大きな箱で大量の荷物ではあったんだけど…。大量の蒟蒻畑(マスカット味)で一気に萎えた。なにこれゴミじゃん…。コロナにかかってた間、写真を撮るという概念が消えていたので記録に残っていないのが悔やまれる。どこかに送るべきだったけど、必要なもの以外全て処分した(-_-)


6日目以降も相変わらず咳だけは収まらず、だったが、飲む時間を変更して睡眠時間を確保した。咳が出て眠れなくなるのが厄介だった。夕食、眠る前の薬の時間を変えることで、少しでも眠れる時間を稼いだ。保健所の指示で8月18日の療養期間。14日以降はカロナールはな飲むなとのことだったが、すでに熱は治まっていたので、18日に無事開放。


シャバの空気は美味かったのかな。もう覚えてないけど。咳は残ってるもののウイルスは死滅してるから問題ないよとのことだったので、やっとネーサンを向かい入れることになった。ただ、一通り消毒しまくったよ。二人で。片手だけでは限度があるしね。やっと10何年ぶりに同棲が始まるのですが、楽しい日々だらけで幸せな時間だったよ(*´∀`*)

221207

色々あって11月7日に帰っていきました。たった3ヶ月ではあったけど、人がもう一人居るという安心感。まるで別次元過ぎて笑う。これまでほぼ一人で生きてきた片麻痺生活が、これだけ”楽”をしてしまうと、一人に戻ったときが大変。「ちょっとあれ取って」だけで済んじゃうのはリハビリ的にはあまりよろしくない。カラダ動かさないで済んじゃうよね。


全て一人でやってきたからこそ何でも出来るようになったんだなと。甘えのないスパルタ生活だからこそ出来上がったワタシの片麻痺生活なんだな。まー、今回は色々考えさせました。ネーサン的にも気持ちの変化があったようだしね。さてさてどうなりますか。療養期間中は外部と遮断、SNSや写真撮影も一切やめていた。する気力もなかったしね。


療養期間が開けてもそれは変わらずで、このままフェードアウトしてもいいかなーとか思ってたら、謎の電話がかかる。また都か医療関係かなーと電話に出ると。聞き慣れた?懐かしい声「なんかあった?」みたいなこと話したような気がする。「うん、コロナになってた」って。iPhoneの連絡先に登録してなくてメモに書いていたから表示されないわけだ。


その電話は蒼さんからでした。前触れもなく突然消えた感じだったので心配して電話をかけてくれたらしいのです。正直びっくりしましたよ。ここまで心配してくれるなんて思ってもいなかったので。Twitterで知り合いとはいえね。その後、めちゃ美味い羊羹送ってくれたし。ほんとありがとう。最近名前が変わったようなのでまた遊びに行かなくては。


とまぁコロナにかかったときにことを書いてみた。最近また感染者が増えてきてるみたいなので、気をつけないと。ワクチンは4回目も接種済み、副反応は注射を刺した場所が痛くなっただけ。インフルはかからんけど、コロナはかかったので次回も打つかもしれんな。もう二度となりたくないもの。あんな苦しい思いはしたくないですわ(;´Д`)

221208