goodluck+

重度脳血管疾患を経験済み。障害者手帳1級1種持ち。左手カメラで散策する、お花畑ブロガー

正直、寝るのが怖かった話(;´Д`)

230401

数年前から寝具類を新しくしてきた。まぁ、このカラダになっていなければ気にもせず、イケアの安いベッドや布団などで済ませていたのでしょうけどね。今更健康に目覚めたわけではないと思うのですけど、はじめに枕をオーダーメイド、その次に西川のマットレスAiR03(ハード)、そして昨年に昭和西川の羽毛布団(グース)。すべてがセミダブルでね。


購入したときは常に感動しましたよ。一度ではなく数年に一度のお買い物でしたから気になりませんでしたけど、改めて見直すとそれなりにゾットする金額(^_^;) 恋は盲目ってやつですわ\(^o^)/ 物欲恐るべし。それなのに、今度は肌掛けの羽毛布団まで買っちゃう始末。自分の収入からだと、かなり高価な部類の寝具たちですね。安眠待ったなし!?


最近できなくなったんです…。夜、布団に入るまでは最高なんです。すぐに眠りにつけるので。当たり前ですよね、とても良い寝具なんですから。肩こり腰痛などはほぼ皆無。でもなんか目覚めが悪い。そして深夜に目覚めてしまうことが多くなってきたのです。そうなるとどうなるでしょう。昼過ぎになると強烈な睡魔がやってきます。かなり辛いやつ。


はじめは食後の低血糖を疑ったのですけど、栄養士に確認すると、今の食事の摂り方で血糖値が急上昇するとは思えないし、その反動で低血糖になるとは考えにくいと言われていた。これはいよいよ”無呼吸”の可能性が出てきました。昨年のネーサン来訪時は私より先に寝かせていたので、イビキや無呼吸になってたという話は出てきませでした(;´Д`)


かかりつけ医に無呼吸症候群の検査を受けたいと相談しました。症状を説明している段階でほぼ間違いないとのことでしたので、大学病院で予約の依頼してもらいました。2月に診察を受ける事に。睡眠医療センターで循環器科のドクターに診ていただくことになりました。かかりつけ医とは師弟関係かな? 連携はとてもいいようでして、話も早かった。


私の場合は簡易モニターを使った検査はスルー。1泊の検査入院となりました。受けた検査は終夜睡眠ポリグラフィー検査(PSG)というものでした。2月はじめに診察を受けてから3月末にやっと検査入院。ほぼ2ヶ月待ち(;´Д`) さすが大学病院…。前日にPCR検査でコロナに感染してないことを確認。午後出社の予定がまっすぐ帰れとの指示。マジか。

会社に事情を説明してお休みをいただくことにした。目の前に美味しい蕎麦屋があるのに、まっすぐ帰れとか酷。後ろ髪を引かれる思いで帰ってきました(^_^;) 翌日は入院のためにのんびりと準備。入院自体とても久しぶり(救急の2時間は無し)でしたので、なんの準備が必要なのかバタバタとしてしまった。翌日の退院後の出社のことも考えながらね。


午後に病院で入院の手続きを行い、そのまま個室に入院。部屋着に着替えて病院内のローソンで買った夕食を食べ終える。そこから例の事故患者詐欺!? のように1時間をかけてセンサー類を付けました。個室の病室は嬉しいのですけどベッドがしょぼすぎて悲しくなった。脳卒中で入院してた時ってこんなベッドだったっけ。翌日は体バキバキでした。


センサー類付けた後は何もすることが無かったのでさっさと眠ることにした。センサーだらけで眠れない人もいるようでしたが、19時には眠っていたようです。のび太くん並の入眠の速さw 特に問題もなく朝を迎えて、センサー類を取り外してお風呂に入って遅めの出社をしてきました。検査結果が出るまで2週間。これでまた特に問題なしとかなら嫌。


2週間後。はじめに診察を受けたドクターのところへ。検査データがグラフとなって数枚印刷されていた。その解析結果報告書の中身を淡々と説明が始める。聞き慣れない言葉だらけなのでちんぷんかんぷん。一通り説明を終えたドクターが一言。『重症です』と。その瞬間”がーん”と来ました(T_T) 重症と言う言葉がこれほど強いとは思わなかった(T_T)


睡眠の状態は基準値から大きく外れて、浅睡眠(N1)が多く、REM睡眠(REM)、深睡眠(N3)が少ない数値…。問題だった呼吸の状態が愕然とさせた。睡眠中1時間あたりでの無呼吸の回数が36回。30回以上で重症とのこと(T_T) しかも最も長い無呼吸が53秒(T_T) イビキの割合が69.2%(T_T) 血液中の酸素の最低値が79%(T_T) こんなの泣くだろ…。


まぁ、ひどい有様でした。反面、これがほぼ毎日だったと思うとゾッとする。もっとひどいときがあったかもしれないし…。息ができなくて、もがいている悪夢も見てきたし…。ただ治療法は確立されているので慌てるほどの問題ではなかったようです。気道に空気を送り続け気道を開存させる『CPAP』(シーパップ)、という経鼻的持続陽圧呼吸療法。

無呼吸症候群には大きく、閉塞性睡眠時無呼吸症候群と中枢性無呼吸症候群がありまして、私の場合はおデブさん特有の閉鎖性っぽいんです。ただ脳卒中に比較的多く見られる中枢性の方も心配でもある。脳幹に梗塞が見つかってからはこんなことまで気になってしまっている(T_T) あいつマジ許せんわ…。5月末の検査のときにちゃんと聞いておこう。


このCPAP、基本レンタルで月イチで診察込み1500円前後かかります。1割負担でね。私が病院から渡されたのはスリープメイト10というモデルで加湿器付きのモノ(ResMed社製) 寝ているいる間はマスクを付け空気を送り込まれ続けるので、慣れるかの不安はありましたが、普段から鼻呼吸している私はすぐに慣れて、問題無く使用できています。


はじめ、病院でCPAPをレンタルしている帝人の営業マン。私が片麻痺だったのでサポートしてマスクの取り付けを手伝ってくれたのですが、どうやらその時はマスクからの空気漏れがしていたようで、呼吸に違和感を持ってしまっていました。なのでCPAP慣れるか不安とかツイートしてました。でもしっかり密着させてやったらなんの問題もなかった。


治療のレポートは機器内で見ることも出来ますが、私はResMed社のアプリ、『myAir』に登録して毎日のスコアを確認中です。帝人の営業マン、何も教えてくれなかった。とはいえ帝人のサポートサイト(要登録)があるから関係ないのだろうね。私は特別なことでもない限りサポートは利用しないのでmyAir使って、改善される喜び堪能しております。


後から調べ始めると結構怖いんですよね。無呼吸の状態。1時間あたりの無呼吸の回数(AHI)もさることながら、血液中の酸素の最低値79%とかね…。コロナになったとき、パルスオキシメーターで常にモニターしとけと渡されていた。その時96%以下になったら教えろみたいなこと言ってたと思う。それと同じかどうかもわからんが79%はかなりビビらせましたよ。35回あった(AHI)はCPAP付けてからは多くても2回とかに収まっている。(myAir内のイベント数から)


イムリーな動画を見つけました。初期の頃よく見たエガちゃんねる。こんな姿になっちゃって的な状態を見せつた茶番から始まっています。私もツイートで心配させてしまいましたね(^_^;) ごめんなさい。興味というか気になる方は観ておくのも良いかと思います。無呼吸の検査の流れと検査結果の内容がとてもわかり易いのでオススメいたします。


これからは一生CPAPが続くと思うと少し嫌な感じにはなりますが、治療続けなかった時のことを考えるとね。仕方のないこと。旅行にも持っていけると言うけど、病院で渡されたとき、カバンがCPAP入れただけでパンパンになった(T_T) 旅行のときは事前に送るか、もしくはminiモデルを購入するかだな…。あんまり考えたくないなぁ。

帝人ヘルスケアが運営している無呼吸なサイト↓
https://659naoso.com/


嫌な思いと供に、思い出す嫌な思い出

回復期、質の高いリハビリテーション(6ヶ月間)を嫌々ながらも終えた後、地元に戻り、聞いたこともないリハクリニックに通うことになった。話を聞きに行くと、なんか時間も多く取ってもらえず、自分がどうしたいか、要望をしっかり話すこともできなくてがっかりした覚えがある。しかもどういうわけか自分で選ぶことができなかったんだよ。


回復期の6ヶ月間は少しでも良くならないかと必死だった、自主練習も消灯時間までやってたし。サボりぐせのある私でしたがこれまでにないくらいよくやっていた。大学病院のリハビリテーション病院だったので優秀なスタッフが多く、これができるならあれもやってみようとか、実験とまでは行かないまでも、新しいことにチャレンジさせてくれた。


なのでモチベーションは高くキープすることができたのです。退院後も1年間しっかり自主練をしていましたわ。毎日2万歩とか歩いてました。その間、雑なリハビリに付き合わされ、こんなんじゃ絶対良くならないなと。セラピストも実はなんちゃってなんじゃねーのって思うくらい...。レベル差がありすぎてもーね。それでも区内のリハクリニックではパワーバランス的には最強のクリニックだったようで。政治的なものが強かったみたい。


そんなクリニックに嫌気がさし、通うのをやめた。薬は大学病院の脳外科で処方されていたので別に問題はなかったんです。そんなときに当時の主治医にそろそろ大学病院も卒業しますかねと、ひーるさんの状態なら町の脳外科でいいんじゃない的なことを言われて、待ち時間の少ない町の脳外科クリニックに移ることになった。不安はあったけどね(^_^;)


出来て真新しいマンションのワンフロアにいくつかのクリニックが入る医療モール。そこに新しく通うことになった脳外科クリニックがあった。これまで通った大学病院からも電車で一駅の距離で、MRIも完備。そして脳外科クリニックということで客が圧倒的に少なく待ち時間のない素敵なクリニック。ただ男性のスタッフがタメ口でイラッとしたが...。


ドクターは話しやすくとてもフレンドリー。経歴見ても米国の大学病院で数年勤務していた。ちょっとすこいんじゃね?って。”Dr.HOUSE”が好きだったのでとても好感が持てました。そのドクターが言った言葉に励まされた 事もあったしね。当時はほんと良く歩いていた。MRIや血液検査の数値もよく、下手にダイエットなんてしないほうがいいって。


食事制限をしていた自分を開放? させてくれました。さんざん大変な思いしてきたのだから、食べたいものはちゃんと食べましょうと、とんかつの話とか良くしたな...。ただね、その言葉がきっかけになったかはわからないけど、じわじわと体重が増えていくことになる。そのクリニックに通い始めて4年が過ぎ、体重は発症前とほぼ変わらない状態に...。

しかも発症前は体力が必要な仕事でしたので筋力もあった。同じ体重でも筋肉と脂肪の量が全然違う...。ニクジュバーン(T_T) そして問題が発覚する。毎年定期的にMRIを撮っていた。検査結果をよく見てもらっていると思っていたのに...。脳幹の梗塞を見逃していたのです...。緊急搬送で救急病院で撮ったCTから発覚。数年前の逆流性食道炎のときに撮ったCTと見比べて。同じ病院だったのでドクターがたまたま比較してあれ?ってなった。


脳幹に梗塞ってなんだよと怒り心頭。自分のカラダに起こったことなので同しようもないことではあったのだけど、見逃していたことに腹が立ってしまった。クリニックは昔のような快適空間ではなく、内科も始めたことにより連日ジジババのたまり場と化し、時間に追われるようになった感が否めない。不信感を抱き会社そばの脳外科で相談することに。


ブルーインパルスが上空を飛んだ某病院の脳卒中センター医長を10数年担当したドクターが開院したクリニック。奇跡的に職場からすぐのところに新しくオープンしていた。そのドクターにこれまでの経緯を話した。最近のクリニックには珍しくとても長く話をさせてもらった。最後にCT撮りましょとなって、結果が出るまで暫く待つと。ひーるさん!!


出てるよ! と。だから言ったじゃん...。何十年も患者を診てきて、脳幹の梗塞を見逃したドクターの話なんて聞いたことが無いと言っていましたから。相当ショックを受けていたようです(^_^;) そのドクターにすぐ別のところ探すべきと手配をしてくれた。MRIを持つ別のクリニックを紹介していただいた。大学病院を卒業と言われてるのであれば、ひーるさんは脳外科じゃなくてベテランドクターのいる内科を探したほうが良いよと。


そこはMRIを持っていないので、CTだけでは見逃す可能性があるから絶対MRIのあるクリニックであるべきと。そして脳出血の原因はそもそも糖尿病が起因してるのだから内科、特に糖尿病に強い内科を探すべきとおっしゃっていました。こりゃ大変だなと家帰って調べるんです、いくつか候補が見つかって地道に一つ一つ通ってみるかとなったのよ。


でも一軒目でほぼ決まったんですよね。ドクターは某大学の糖尿病代謝内科で准教授までなった人で立派な先生で、話しやすく、答えも的確。そして毎回(月イチ)の検査の際に検尿と血液検査を行って診察時に結果が出ているというね。糖尿病では当たり前?? これまで数年間、血液検査なんて1、2回(年)しかやってないし..。なんだかなぁ(;´Д`)

それと栄養士の指導付きというのも大事なポイントで、食事のあり方(塩分少なめ、血糖値の上昇を緩やかにする方法)など。これまで脳外科クリニックで教わることが出来なかった自分でやれる予防がね。もっと早く始めていれば脳幹の梗塞なんて出来なくて済んだかもしれない。節制にに努めていれば。優しい言葉に乗った自分が悪いだけなんだけど。


結局のところ、よく診てくれていると思っていたのが、実は全然みていなかったんだと思うのよ。フレンドリーな雰囲気を出すのだけど、それって前回も話しましたよね? あれ? また忘れてる、みたいなことが多々あった。カラダの不具合を的確に診断できないから、フレンドリーさを全面に出してるんだろーな。悪く言えばペテン師みたいなもんだよ...。


大変な思いしたんだから良いよ食べて...。うん。でも悪くなるのを知ってまで続けたいとは思わなかったよ...。ほんと4年間無駄なことをしてしまった。確実に寿命縮めていたものね。腎臓のキャパシティ、糖尿病の恐怖とか。知らなければいけないことを知らなかったのが悔やまれる。脳出血したから脳外科で診てもらう、よりも原因となった糖尿病に重きを置くべきだったんだ。でも、まだ間に合うので食事制限は再開してますが(*´ω`*)


体重を減らせばその分血液の量が減り、腎臓への負担が緩やかになるしね。今は大丈夫でも放置してれば透析の可能性だってあるわけだから体重は少ないに限るよ...。先月の人間ドックで体重がピークから3kg減って、メタボ検査でもウエストが細くなっていたようで看護師に「病気で痩せてなければ良い兆候」と。一言「頑張ってます!」と伝えたばかり。


ここ最近嫌な思いしてね。救急外来で運ばれた病院がクズ過ぎて呆れ返ってしまって...。そんなこと考えたら嫌な過去がフラッシュバックしてさ。記憶が戻るのは嬉しいことなんだけど嫌な思いしたのだけが憎悪の塊となって出てきちゃうと、ガス抜きが必要になるのよね。なのでガスを抜いてるつもりなんだけど、なかなか抜けないガス出っぱなし(^_^;)


あのテンパってキレまくってた看護師、マジで許さんっ!! そして左手(健側)の手の甲から大量出血してるのも関わらず麻痺手で抑えてくださいと言ったナース、マジコ○ス!! 実質3時間(治療と検査1時間)しか居なかったのに入院させ、会ってもいない奴が指導したことになってる請求書を送ってきたクソ病院(東京蒲○病院)早く潰れちまえーっ!!


ハァハァハァ(;´Д`) あースッキリした。医療機関は少しでもおかしいと思ったらすぐに変えるべき。自分で選べなかったり、救急で運ばれる以外ならね。救急でもあそこだけは絶対に嫌と言ったらどうなるんだろう。次回があるのなら、忘れずに必ず言うことにしよう。ホスピタリティの皆無な病院へは行きたくないです、と。ほんとハズレ引いたな。

装具で履ける靴(俺Ver.)

※注意:装具でも履ける靴は同じものを購入すれば履けるとは限りません。各個人の装具によっては大きくサイズが異なります。私の装具は義肢装具士に無理を言い、無駄を排除し、私自身も10年以上の経験と特別な訓練を受けています!?ので安易に信じないでください。それでも興味があるようでしたらそのままお進みください。

230208

昨年末に靴を買いました。1足とかではなくて立て続けに5足も。片麻痺になってからもずーっとニューバランスを愛用していたのですが、MW1501がディスコンになってから魅力ゼロ(T_T) 国内販売で6Eというシューズウイズを持つ靴って数が限られていまして、選択範囲がとても少ない。その中で装具(RAPS)で履くのは更に見極めが肝心なのです。


最後の砦だったMW585が昨年末、ディスコンになる気配を感じて慌てて購入。これ正直クソダサいデザイン。できることなら履きたいと思わない。正直、冠婚葬祭用として考えたときに1足は持っていたほうが良いと思ったので購入していました。なので普段履きとして考えたときにどうしようかと悩んでいた。前回購入したのは海外のニューバランス


Amazon.comで2足購入して、ネーサンに送ってもらったのですが...。靴のサイズが全然合わなかった。見てくれはまぁ良くもなく悪くもなくというという感じだったのですが、履いたその日の出社後に激痛。小指の皮がベリっと逝ってました(T_T) そうは言っても2足も購入(約3万円)したのでラテックス詰め込んだりして、なんとか履いていました...。


それでも1日に数回靴を脱いで痛くなった部位をマッサージしてやったりと、とてもつらかった。ニューバランスジャパンの方針は6Eなんてサイズ履くやつ少ないんだからおっさん靴だけでいいやろ、的な...。一部の客層を切り捨てた感じだったので、もーいいや。小学生から愛用してたのにもーしらね、って。とても悲しいお別れをしました(T_T)


じゃー、どーする? となるのですけど一貫して言ってることは、介護シューズは絶対に履きたくない主義なもので(^_^;) 履きやすさとか片足だけで購入できるメリットがあるのは理解してるのですが生理的に無理なんですわ…。毎朝履くときに”障害者の靴だ”と意識させる感じがとてつもなく嫌。自分が障害者であることは否定しないけど、改めてお前は障害者と意識させるモノがあると排除したくなる。普通に生活ができているんだから。


最近の駅前でやっている選挙運動とかでも、私の顔を見るなり「足元気をつけて、頑張っていってらっしゃい」とか言われると”うるせーよ! オメーにはゼッテー入れねー”ってなっちゃう人なんで。些細なことでも再認識させさらるのはとてもとても不愉快なんです。ビラ配りでも麻痺手側にどうぞとやってくる。どーしろというの? お前ナメてんのかと。


はっ、横道逸れた...。イカイカン。靴の話だったよね(^_^;) 介護(リハビリ)シューズじゃなくてどうする?って話なんですが、ぶっちゃけるとデザインがゴミすぎて履く気になれないのよ。どうしても他に無いとなったら、オーダーでブーツを作ってもらうかな。まぁその前に探すだけ探しますけどね。で、「6E 靴」で検索かけるとそこそこ出てくる。

出てくる出てくる。「SPALDING」(アキレス)、「DUNLOP」(広島化成)、「EDWIN」(フェアストーン)と。有名どころ? ですかね。ブランド名で言ったらエドウインかな。長年ジーンズ履き続けているので。たださ、名前借りだけなのよ。(会社名)ね。スポルディングはボールのゴム、ダンロップならタイヤのゴム、エドウィンならデニム?とかなら魅力的かもしれないけど、そういった意味では全く関係ないとこが作ってるんだよね(´・ω・`)


純粋に選ぶとなったらアキレスが作っているスポルディングなんだけど、ロゴがどうしても好きになれない。子供の頃何も知らず海外製品だからと買わされていたイメージしかなくて(^_^;) アキレスが作ってるのだからしっかりしてるのだろうけどちょっと無いなと。エドウィンは輸入商社が海外で作らせてるだけなので単純に却下。っとなると...。


ダンロップか...。正直、発症前はBSでお仕事貰っていたので少々抵抗があるのですけど、住友ゴムのほうじゃないからまぁ良いかと(^_^;) デザイン的にもそこまで酷くないのでね。6Eサイズも毎年作っているようなのでこちらを試してみることにしました。ただ購入したのは昨年末でしたので22年モデルは在庫のみ。デサインが気に入ったのが在庫僅か。


広島化成の靴って初めてなんだけど、どれだけ保つのか未知数でしたのでレビューとか見るとそんな悪いことが書いていなかったので購入決定。ニューバランスMW585に比べ約1/3のお値段w ほんと助かる。これで普通に履ければ言うこと無い。でどうだったか...。言うまでもなく、はじめに書いたとおり5足購入(1足MW585)も購入してしまった(^_^;)


これまで痛みのあった靴から開放されテンションが上ったのもありますが、在庫僅かだったのでストック分を購入しておきました。これまで何度も次に買おうとしたらディスコンになって購入できなかったことが多々ありましたので。しかもこれまでに比べて値段が1/3以下なので予算内で多めに購入できるのが嬉しい。色違いを買うこともできたしね。


それともう一つ気になったモデルがあったので飛びついてしまった(;´Д`) 冬の時期、通常のスニーカーだと座ったときに裾が上がり、そこへ冷気が侵入してめちゃくちゃ冷えることってあります。そんなときハイカットがあればいいなーと思っていました。そうしたらあったのです。しかもマジックテープ仕様。これもダンロップ・リファインドでね。


早速Amazonで7日間お試し「try before you buy」を利用。これなら人柱にならないで済みますw 翌日到着したダンロップ・リファインドDM2007。こちらも6Eなんです。それでハイカットとかさ、うまく履ければ神靴認定。甲の部分の大きめな部分と足首をホールドするマジックテープを緩めて装具の付いた足を入れると...。入っちゃった(*´ω`*)

230201

神ですな。ハイカットだとRAPSのヒンジジョイント(可働域)の妨げにならないか心配したのですが、全く問題にならなく、綺麗に避けていた。なんだかなー。こんな靴がかくれていたとは...。流石にこちらの靴は寒いときだけしか履かないので予備は買いませんけど。ただ両モデルとも22年モデルなので物はあってもサイズが終わっていたりします。


もしも欲しいと思っている方、早めに在庫確認して購入するように。まだ一部のカラーが残っていたり、Amazonで購入できるのもありますので、お早めに。23年モデルは正直好みに合いませんのでスルーですね。あと二年くらいはなんとかなりそうなので心配はしていませんけど。それまでに新しい靴が見つかればいいと思っていますので。見つかるか?


そうそう、紐はどうしてるかというと、ロックレースを使ったり後継モデルのランレースとか使っています。これまでは紐自体をパラコードを使ってカラフルにしたりしていましたが今回ははじめから付いている紐を使い、末端処理だけしてロックレースや、ランレースを使っています。腕一本でやるので難易度は少々ありますが、慣れてしまったのでね。


それともう一つ大事なアイテムです。このカラダになってからずーっと愛用し続けているのに一度も紹介していませんでした...。単に忘れていただけなんですけどね(^_^;) 靴と同様に大事なもの。ハンドシューホーンSAMTIAS。シューホーンっていっても短下肢装具じゃないから\(^o^)/ 携帯用の靴べらのことです。これがほんとに良いんですわ!


携帯してるわけでもなくて玄関と会社用に置いて使っているだけ。一度使ってしまうと別の靴べらに戻れなくなります(※効果には個人差があります)。まぁ下手なりに動画を撮っていますのでよければこちらからどーぞ。靴とかかとの間に挟ませ親指で前にぐっと押し込むとスポンと入ります。もうこれなしでは生きていけないかもしれないかも\(^o^)/


それと、今回購入した靴の健常側には手作りのインソールを入れて、装具の踵の高さが変わった部分を補っています。これはそのうち始める、ものづくり系ユーチューバー(嘘) ブログにでもアップするつもりでいたりいなかったり\(^o^)/ タイトルは決まって簡易ロゴも作ったんだけどいまいちしっくりこない。一体いつになるのかな。でもアレヤコレヤと考えているだけ楽しいんです。何年経ってもcoming soonだったりしてね!?

参考程度に私が購入したもの。軽くてクッション性もよく強度的にも今の段階で全く問題なし。防水性能もしっかりしてるし、多少の雨でも全く問題ないです。広島化成というくらいだから広島で作ってるのかなと思ったら、ベトナム産でした。まぁ、このへんはどのメーカーも一緒。チャイナボカン製じゃないからいいや。サイズやカラーも残りわずか。


※オフィシャルではディスコンのため情報はなくなっています。アマゾンには23年モデルと旧商品情報が残っています。

22年モデル
ダンロップ・リファインド
DU683  ローカット 28cm
DM2007 ハイカット 28cm
※健常だった頃は26.5cm

一年の計は元旦に...。

230101

新年、一回目。挨拶まだの方は、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。というわけで...。1月も後半なのに新年の挨拶とかのんびりし過ぎですね。でもまー、あわてずのんびりしている感じが良いじゃないですか。スローペースで片麻痺生活を満喫している証拠です。 10年も過ぎればこうなるもん? ですよ。私はね。


いよいよ週末は発症記念を迎える日がやってきます。なにか特別なことをするかと言われると、うなぎを食べに行って、11年目を迎えられたことに感謝するくらいですかね。年末に行けなかったから結構楽しみだったりします。栄養士が付くようになって食事を意識するようになりました。制限ではないにしても食べ方などセーブするようになりましたわ。


お正月休みは少なかったです。やりたいことも結構ありましたが、ほぼ何もせずに過ごしました。唯一やったのは年末に新しい年を迎えるということで、杖のグリップと先ゴムを新調したくらいですね。あぁ、それと年末の大掃除でデスクのコルクシートを新しくするためにカットしましたね。適当にハサミでカットするのではなくカッターで正確に。


その後は特別なこともせずボケーっと規則正しく寝て起きての繰り返し...。完全なオフモードでした。年が明け恒例? となった初詣と定期券の更新をしに自由が丘まで向かいました。私が利用している東急電鉄は定期が6ヶ月ではなく1年で購入ができ、とても重宝してるのですが、同じ系列の東急バスは6ヶ月まで。何がそうしてるのかよくわからんよ。


自宅から向かいやすいのは二子玉川駅なのですが、今回、自由が丘駅を選んだのは、単純に定期券売り場が無くなったため。ここ数年、売り場の減少が多く、理由がよくわからない。特に障害者手帳での割引(バス)で購入するためには窓口での提示が必要なわけで...。選べる駅が減って不自由さが増すとかね、正直ふざけんな東急って感じなんですよ(T_T)

230102

東急のHPを見ていたらこんなの見つけました。「一部定期券の新たな購入方法について」というpdfファイル。昨年の5月から行ってる実証実験らしいのです。対象の定期券に東急バス障害者割引定期券という文字。いくつかある取次駅に二子玉川駅があることがわかったので、これは電話で仕組みを確認せねばと。高次脳だと自分の頭を信じてないのでね。


早速問い合わせることにした。私「あのHP見て実証実験についてお伺いしたいのですが?」 駅員「どういった要件ですか?」 私「障害持ってまして東急バスの定期を・・・」 食い気味に「いまは売り場がなくなりましたので近いところですと自由が丘駅でお願いします」と。そうじゃない。はじめ実証実験についての問い合わせと言ってる。私「そうじゃなくて、障害者でバスの定期券を購入する実証実験の問い合わせです」 駅員「・・・」


駅員「少々お待ちぐださい」 私「・・・」 しばらくして「お客様、やはり自由が丘駅に・・・」 今度は私が食い気味に「そうじゃないです。実証実験の話です💢」 再び「少々お待ち下さい」 私「💢💢」 再び待たされ「やはり自由が丘へ行かれて手続きされるのがよろしいかと」 私「人の話聞いてる? HPに書いてある実証実験について聞きたいと言ってるんだ」


「そこには取次駅に二子玉川駅がと書いてあるから、どう手続きをすればいいのかの確認のために電話している💢」 慌てる駅員「少々お待ちぐださい」 はっきりいって正月早々ブチギレしたくはなかったのでギリギリ抑え込んでいたけど限界が来ていた。駅員「それをするためには手間がかかるのでやはり自由が丘へ」 私「お前さーーー!!!💢💢💢」


「手間がかかるかどうかは話を聞いてからオレが決めることだろーがっ!!! そんなこと聞くために何回待たされてるんだよっ!!!💢💢💢」 やりましたね(;´Д`) 今年一番の怒鳴り散らしの初ギレ。まだ三が日なのにね...。駅員「・・・」 私「黙ってねーで、なんか言うことあるだろーがっ!!!」 駅員「・・・申し訳ありません」 私「もういいわ💢」

230104

今年初ではあるけど、昨年からあまり怒鳴るほどキレたことなかった気がするんですよ。今思い出すだけでも血圧上がるだろうし。書いていてちょっとしんどいですね。本来なら二子玉川駅で手続きを済ませ、多摩川沿いのバスに乗り多摩川駅そばの浅間神社に行こうと思っていました。それができなくなったのも腹がたった。新年早々予定が狂うのは嫌。


二子玉川駅固執した理由がその浅間神社での初詣が一つ。それとその後に向かう会社そばの御嶽神社での初詣。一年に一回は浅間神社、毎日通る御嶽神社への挨拶がてら行くつもりでした。結局キレたおかげで手続きする気もなくなり、ちょっとめんどう臭いけど自由が丘駅に向かうことにした。乗り換えとか、売り場までの道のりで混乱するんだよ。


ほんと障害者に優しくない電鉄会社だよな。一日乗車券の購入方法だったり、ゴミアプリだったり...。3月に新しく適用される障害者用のSuicaやPASMOは有効期限が一年だったり、同時に介助者の分も買わないと駄目(個別に購入できず)だったりとあまり期待はしていない。あぁ、これになったら一日乗車券半額でいけるのかな??? どうなんだろう。


なんとか自由が丘駅に着いた。20代の頃務めてた会社の人に誘われて、地中海料理の店だったり、忘年会に寿司を食べに来たり...。その程度しか覚えてないオシャンティな街。私のようなヒキニートなじーさんが来ていい街ではないよ(;´Д`) 定期券売り場にさっさと向かって即帰るつもりでした。通常の手順で定期を購入。8万円が消し飛んだ(TдT)


一点気になったことがあったので確認をした、朝のキレた話のこと。実証実験について聞いてみた。あることも知ってるし、全ての従業員が知ってることで、知らないはずがないと。お客様には大変ご迷惑をおかけしましたという。やっぱり二子玉川駅のやつがハズレだったんだ。もしよろしければ、何処の駅か教えていただきたいというので二子玉川ですと。社内で調査し、しっかり指導いたします。大変申し訳ありませんでした。ってさ。

230103

そこまで言ってもらえるとは思ってもいなかった。確認してなんだかスッキリした。そういえばこの辺りって神社なかったっけ? とiPhoneで確認をする。熊野神社がヒット。そうそうこんな感じのとこあったよなーって。ついでだから初詣してくるかーとなりましてのんびりと散歩がてら行ってきた。道に迷いつつなんとか到着した。結構並んでますね。


30分くらい待ったかな。音の出ない二礼二拍手一礼を済ませて帰ってきた。一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)の御札が欲しかった...。1/6は仕事だった。次は3/21(祝)か。覚えてたら買いにこう(*´∀`*) 本当は静かに11年目をスタートして大人の片麻痺障害者をアピールするつもりでした。年が明けてからやったこととかも紹介したかったんです。


そんなわけで!? 新しいblogを作ろうとか思っています。作り物系、特に片麻痺に関連するものというか。自分のカラダに必要なものなど。昔書いていた旧blogみたいな感じでね。自己満足blogってやつ。余計なことは書かずに淡々と作る工程とか使い勝手とか書いていこうかなと思っています。このblogは引き続き更新ペースは遅いけど書き続けます。


昨年の発症記念の日に「そのうち見つかる」と書いていたこと。一年かかりましたけど見つかりました。焼き直し感は否めませんけど、10年過ぎた自分の考えや手法など出てくるかもしれないですし。3Dプリンタね。はいはい作りませんし売りもしません。そーゆーのは得意な療法士たち任せます。3DCADは仕事だけでいい。いつから始めようかな\(^o^)/

230105

今年もお疲れさまでした。

221209

今年も終わりますね。早かったのかな?なにぶん記憶障害があるので、感覚的に早い遅いを判断する材料がないといいますか、まぁよくわからないのです。でもどーなんでしょ。フルタイムで働くようになり一年を過ぎて、時間にゆとりが無くなったのは事実で、仕事が終わって食事の準備、21時風呂入り、23時には就寝、6時に目を覚ます。なんだかね。


一日があっという間に過ぎてしまうので、そういう意味では時間の流れは早かったのかもしれません。今年の約半年はネーサンが来ていたのでその間は充実してましたがね。ただ、そのネーサン、海外の戻った矢先、階段で転倒…。右鎖骨骨折という最悪な事件が起きた。おっちょこちょいにも程がある。最近はギブスも取れリハビリに取り組んでいる。


奇しくも利き手の骨折なので、ワタシの苦労が少しは分かったようだ(;´Д`) 全くもってやれやれだぜ。ネーサンと言ってもバーサンなんだから気をつけろと散々言い聞かせてるのに…。これからもっとこーゆーことが起きてくるんだぞと念を押しました。そういえばNYの弁護士とは縁を切ったそうです。良かった。金だけ欲しがる糞弁護士でしたから。


地元の日本人の弁護士を雇ったそうです、ただビザはこれまで同様のO-1ビザ…。ただかかる費用はかなり安くなるようで、7、8年続けているビザなので資料等もしっかり整理されているからそんなに手間はかからないと言ってくれたそうです。一時は本気で帰国を考えていたようでしたが、仕事はレジ打ちのバイトくらいしか無いぞと伝えていた…。


50過ぎてレジ打ちとか見たくないし…。いい年した年齢で留学、大学を主席で卒業してるのに日本でレジ打ち…。そして職場でイビられてわんわん泣く、そんなの相手できないからね…。今のこのカラダでは何もしてやれないよと。いまの職場の地位は悪くはないのだから居られるだけ頑張りなさいと、私のことは気にするなと伝えました。寂しいけどね。

ワタシはというと、同棲していた三ヶ月間、特にストレスを強く感じることはなかったはずなのですが、居なくなったと同時に何かから開放されたようでして、やたらと散財しまくってます(;´Д`) はじめは仕事で使うテンキーを探していただけだったんだよね。気がつけばテンキー(メカニカル)、テンキーの具合が良いのでキーボードを変えたくなり、


東プレのキーボードを買うと、剛性感の良さや、方向キー、ファンクションキーがあることで、これまで自宅で使っていたHHKB、それらの操作がいちいち同時押しが必要だったので少々煩わしさを感じていた。すると自宅でも同じものが欲しくなる。そしてマウスもRAZERに原点回帰。左手用のNAGA、左右対称のVIPERをそれぞれ職場用と自宅用に。


そして、足攣り対策として羽毛布団(昭和西川)を購入。今年は部屋がとにかく寒い。下の階に人が住んでないのが敗因。人が住んでないことで、カーテンのないガラス戸を通って冷気を溜め込み、本来なら暖房で暖められるはずの空気もなく常に寒い状況を作っている…。流石にイケアで買ったなんちゃって羽根布団では役に立つはずもない。極寒(T_T)


特に朝方の冷え込みは完全に麻痺足に来ていて、恐ろしい頻度で足を攣っていた。ミオナールが全く効いてない感じ。かかりつけ医に報告、紹介状を書いてもらい、以前行った脳神経内科へ。恐れていた脳幹の梗塞による痙性ではないとのことだったので一安心。これは寒さの問題だなと、帰り道、西川ショップでいろいろ聞き予算を決め、購入ました。


それからはピタリと止みましたね。めっちゃ温かいですから(*´∀`*) これまでタガが外れてしまった衝動買いに近い買い物ではあったね。これまで節制してきたのが一気に開放された。とはいえ、カメラやクルマ、家買ったわけじゃないので大したことは無いですね…。多分。それはそうと、10年を節目にかかりつけ医を変えたという話をしましたね。


医療ミスとまでは行かないまでも、脳幹の梗塞を数年前から見逃していたと言う問題。正直、腸が煮え返りまくってましたよ。まじでムカつきました。今は別の脳外科で別のかかりつけ医を探したほうが良いよと言われ、自分で探した内科(糖尿病に強い)に変えました。本来ならもっと早くするべきでした。糖尿病が落ち着いてるとはいえ、知識の少ない脳外科+おまけ内科とは全く違うのよ。脳外科に頑なに拘る必要はまったくなかった…。

221210

毎月検診時に血液&尿検査でHbA1Cグルコースなどの血糖値関係から、最近あまりよろしくない腎臓系をしっかり見てもらえるようになりましたからね。検査が終われば栄養士に呼び出されシメられる日々を送っておりますわ\(^o^)/ でも、そのまま前のクリニックに通っていたら間違いなく寿命は短くなっていたはず。事後報告か事前対策か。


それが出来るのは事前にチェックして予防出来る状態を作っていくのは大事だと思う。なった後にどうしよっか、とかじゃ駄目なんだわ…。食事制限もいうほど厳しくないし、糖尿病網膜症で片目失っている割には数値がそんなに酷くないと褒められた? そもそも糖尿病の薬を今現在は服用していないので、シビアである必要は無いんだとか。ただ、食べ方を変えていかないと駄目よと。ヨーグルト先食べてタンパク質、炭水化物とかね。


順番が大事なんだとか、朝なんておにぎり一つしか食べませんキリッと言ったら、それ止めてと、ヨーグルト(無糖)、卵、おにぎりにしたほうが血糖の上昇も少ないからできればそうしてほしいと。今は家でゆで卵作り、ダノンビオを持ち、コンビニでおにぎりとお昼用に牛乳を買うのが日課になっています。ラーメンは月に1、2回で我慢するようになった。


これが結構辛い。麺類は小麦粉とよく噛んでで食べずに啜るのが良くないとか。二郎断ちしてから優しい系に逃げたものの、あまりカラダには優しいとはいえないようで…。どうしても食べたければ、それ以外の食事をうまく調整しておくようにと、できれば食べてほしくないけど、どうしても食べたくなったら上手くコントロールしてくださいと(;´Д`)


それが唯一の苦行?かな。でもしっかり管理できているのが良いですね。同じクリニックでもこれだけ違うと悲しくなりますわ。自分が知らなかったのが行けないのでしょうけど、身内に医療関係で働いてる人なんて居なかった。脳出血したのだから脳外科で見てもらわないと、という先入観が強すぎましたね。これを教訓にあまり固執しないようにね!


誰に言ってるのか知りませんけど…。そうそう、今年も終わりです。うちの会社は本日が最後。大掃除やって終わりです。その後今年最後のラーメン食べに行って頼んでおいた焼豚買って帰ります。今年も鶏肉買いに行くのは止めてのんびりと。部屋の掃除を軽くやっておしまいです。今年は気圧にやられまくりの日々でした。来年は良くなるのかしらね?

221212

てなわけで…。
皆様、よいお年お迎えくださいませ。
それでは来年もよろしくお願いいたします\(^o^)/

覚悟したね…。コロナのバカ(T_T)

221201

7月末にネーサンからSOSの信号を受信した。まぁ、予想通りでしたけど…。住み慣れた実家は姉が一人で住むために新築されていたので、住心地は決して良いものではないだろうと。そして姉の性格が最悪なのも知っていたし…。住環境だけではなくメンタルもかなり蝕んでいました。『もうここには居たくない』と。じゃー、どうするのよと私が聞く。


ひーるのとこ行く、とネーサン。いやいやいやいや、無理だし。人の住む環境じゃねーからと(;´Д`) 振動と騒音、何よりも部屋が狭い。そもそもスーツケースの置き場所すら無いよと。それでも実家には居たくないというのです。じゃーどうするかと、宿泊施設を調べるも現実的な金額ではなく、あきらめムード全開。しょうがない、うちに来ますか。


ただこのまま来てもらっても、2人で住める状態ではないので少し待ってくれとお願いをした。これを機に断捨離を決意。このアパートに移り住んでから、全く手のつけなかった衣類、いつか必要になるかもと持ってきていたガラクタ類。タンスを占有していたものを捨てることにした。片麻痺になり生活も趣味も変わり、持っていても思い出にしかならず、いつか使えるようになるかもとか、そんなのばっかりだった。でも10年でしょ…。


今はいらない。きっちり未練は断ち切れてるし。できんものはできんと。それらの情報のインプットを一切やめましたからね。で、以前デスクチェアの廃品回収していただいたところに電話、軽トラ一杯の回収サービスをお願いした。一応出来る範囲で仕分けはしておいた。リサイクルできるものは捨てずにリサイクルしているようだし。とても有能だわ。

これでスーツケースの置く場所も確保し、かろうじて5.5帖の部屋でもギリ生活出来るようにはなった。ネーサンを向かい入れる環境は整った。とは言えないけどさ…。でも、さんざん抵抗したんだけど、一緒に居たいというので仕方なく良いよと言ったんです…。前に同棲してたときと環境が違いすぎていたので、本当に大丈夫かなと心配していました。


忘れもしない8月5日。ネーサンからメッセージが来る。「今新富士駅に着いた」と。まだ12時回ったばかりで、合流するのは仕事が終わってから。姉の都合で早く出て! みたいな状況になっていたらしい。ありえんわ(;´Д`) その間どーする? と聞くとWi-Fiあるところで仕事するから大丈夫だよと。なんだかなー。でもどうすることもできないからね。


15時の新幹線でこちらに来ることになっていた。ワタシは15時休憩が済み、残りのわすかな時間をソワソワしながら作業を進めていた。なんだかんだ言っても嬉しいのよ。そんな浮かれていたとき、斜め前に座る上司の電話がなる。なんか深刻な話をしてるっぽい。電話が終わり、私達に「父親がコロナになったので帰らなければいけない」と。マジかよ…。


濃厚接触者というやつ。ワタシは頭真っ白。すでに東京に向かっているネーサンに来ちゃ駄目ということは出来なかった。ただ、何かあったとき用に準備だけしてもらおうとメッセージを送る。この段階で、濃厚接触者になっているのは上司だけで、職場でもマスクはもちろん手洗い、換気なども徹底していた。なので大丈夫だろうと思っていたんです。

定時になり、急いで品川駅まで行き、ネーサンと無事合流。なんかごめん、謝るワタシ。まだ会社の人がなっただけでヒールがなったわけじゃないから大丈夫だよとネーサン。その日はどこへも行かず、まっすぐ我が廃城へ(´・ω・`) その間、ハグもなし、マスクも取らず、除菌スプレー&除菌シート使いまくりで食事も別にした。万が一のために。


でも翌朝起きると、喉に違和感を感じることになった。すぐさま近所に耳鼻科にWeb予約をして徒歩で向かった。そこで一時間近く待たされムカつきはしたものの、特に問題ないですよと。体温も平熱だったし…。100%信用はしていなかったので自宅に帰っても、ネーサンとは距離をとっていた。しかし残念なお知らせのメッセージがやってきた。


上司からの陽性という結果。まじかよと。同じ部署でクルマで一緒に出張していた同僚もヤバいとなり、慌てて抗体検査をしてもらうと言うメッセージが流れてきたのです。ワタシは耳鼻科行ってきた後なので大丈夫と言いましたが…。違和感は変わらずでなんか変だった。翌朝、目が覚め、なんとなくボーッとする。もしかして熱あんじゃね? って。


38℃手前…。まじか(;´Д`) 慌てだすのです。まず東京都のコロナの感染症対策を調べ、発熱外来のクリニックを探すのです。大きな病院はどこも一杯で予約ができない。近所は全滅だった。地図から探しだす『診療・検査医療機関アプリ』で地道に一つ一つあたって行く。必死だよ。このまま会社は行けないし、何よりネーサンに移したくはない。

221203

やっと、バスで行けるクリニックを見つけ出すことに成功。予約も出来た。マスクをして向かう。一緒に行こうか?と言われたけど、移したくないから来なくていいよと。日曜日の早い時間ということもあってバスはガラガラだった。まだ咳もなく熱だけだったのまだ良かった。でも陽性となったら帰りはどうするか…。考える余裕なんてなかったな…。


クリニックには入らず、指示されたとおり入口の前で電話をする。すぐに裏に回って待機するように指示された。裏には質素な診察スペースがあり、扉や窓はすべて開放され十分換気がされていた。しばらく待機してると、完全装備のドクターが入ってきて検査をしますと、長い綿棒をグリグリと突き刺す。悶絶です(T_T) しばらくして『陽性』と宣告。


まじか。陽性となったらまず何をするのかすらわかっていないというのに。それよりも先に一番近いホテルに10日間ほど退避してもらわなければと、すぐにメッセージを送った。前もって調べていたので一泊6000円位で即予約した。スーツケースは一人では持ち出せないので、帰るまで待っててもらい、なるべく触れないようにして一緒に下ろしました。


で、ネーサンはホテルへ。そして抗体検査を受けてもらうことになった。そしてワタシはドクターのはっきりとしない説明を受け薬局からの連絡を待つことになった。抗ウイルス薬で細胞内に侵入した新型コロナウイルスの増殖を阻害する作用のある、ラゲブリオという禍々しい色したカプセルの薬。重症化リスクのある人に向けた薬だったようです。

221206

そのあたりの説明が曖昧すぎてはっきりと説明しないドクターでした。これらの話は自分で調べてはじめてわかった話でしたから。今でこそ何日も経っているので冷静に書くことが出来ますが、当時はかなりキレてました。不安しかなかったですもん。得体のしれない病、普通じゃないカラダのワタシがどうなってしまうのか…。そりゃパニックでしたよ。


その中で、最優先だったネーサンの安全確保。翌日受けた抗体検査では陰性でした。ほんと良かった…。ワタシはというと、陽性と宣告された日の翌日から、いよいよ咳が出てきた。ラゲブリオは届いていたので毎朝飲むようになっていた。熱は38℃後半でずーっとそんな感じ。倦怠感はありつつも、咳が出なければ普通に生活は出来ていました。


ただ咳がね…。出始めたら地獄(T_T) 全く止まらないのよ。咳が出続けると息を吸うタイミングを失い、どんどん辛くなっていく。それの間隔がどんどん狭まる感じ。恐怖しか無い…。今でも二度とごめんと思ってますもん。あんな経験は二度としたくない(;´Д`) 自宅待機してから三日目からこの咳との戦いがしばらく続いた。勝つことのない戦い…。


咳がだんだん酷くなり、薬でなんとかならないかとクリニックに電話するとドクターが出て、主治医が居るならそっちでやってくれと。はぁ? 何言ってるんだこいつ💢💢💢 何を言っても主治医にやってもらえの一点張り。本気で殺意が芽生えた。咳止めの薬が出てなかったんだよ。止まらなくて苦しんでいたのに。埒が明かないので主治医に連絡を…。


主治医は薬出すよと行ってくれたが、じゃーどうする?となった。退避したネーサンに頼んでも良かったけど、その日は大事な用で出掛けていたので営業時間外になってしまう。そういえば、以前何度か薬を届けてくれた近くの薬局を思い出した。電話して趣旨を伝えたところ快諾していただき、すぐさま主治医に連絡、手配してもらうことになった。


薬局が来て玄関越しにやり取りをし感謝を伝えた。結局これがきっかけで、今までバラバラだった薬局はここに統一。かかりつけ薬局となった。薬は咳止め用にアストミン、カルボシステイン、そしてラゲブリオの3つで凌ぐことになるのですが。熱の方はというとラゲブリオ飲んだせいか寝てる間に汗びっしょりかいてほぼ平熱に戻った。あとは咳だけ。

翌日、さらに咳が悪化。薬が効いてる間は安全なのですが、切れると咳き込む時間が長くなった。とうとう辛すぎて夜中にファストドクターを呼び出す(T_T) 本気で死ぬと思ったからね。本当に怖かった。で来てくれたのは若い女医。たださ、名前がメールで送られてきたので、どんなやつか調べてみたら、インスタが出てきた。パリピのネーチャン…。


最悪だ。絶対ハズレを引いた。案の定外れだったけど。完全防護で来て、薬だけ持ち込んで話もろくに聞かず、片っ端から薬を置いて、ささーっと帰っていった。なんなのよ。ファストって早く来てくれるけど、早く帰るって意味だったんだ。これで都に高い請求書出すんだろうなと。コロナ関連は外れまくった医療関係者達だった。二度と利用しない。


発症から5日目に都からの救援物資が届いた。食料品関係のやつ。結構大きな箱で大量の荷物ではあったんだけど…。大量の蒟蒻畑(マスカット味)で一気に萎えた。なにこれゴミじゃん…。コロナにかかってた間、写真を撮るという概念が消えていたので記録に残っていないのが悔やまれる。どこかに送るべきだったけど、必要なもの以外全て処分した(-_-)


6日目以降も相変わらず咳だけは収まらず、だったが、飲む時間を変更して睡眠時間を確保した。咳が出て眠れなくなるのが厄介だった。夕食、眠る前の薬の時間を変えることで、少しでも眠れる時間を稼いだ。保健所の指示で8月18日の療養期間。14日以降はカロナールはな飲むなとのことだったが、すでに熱は治まっていたので、18日に無事開放。


シャバの空気は美味かったのかな。もう覚えてないけど。咳は残ってるもののウイルスは死滅してるから問題ないよとのことだったので、やっとネーサンを向かい入れることになった。ただ、一通り消毒しまくったよ。二人で。片手だけでは限度があるしね。やっと10何年ぶりに同棲が始まるのですが、楽しい日々だらけで幸せな時間だったよ(*´∀`*)

221207

色々あって11月7日に帰っていきました。たった3ヶ月ではあったけど、人がもう一人居るという安心感。まるで別次元過ぎて笑う。これまでほぼ一人で生きてきた片麻痺生活が、これだけ”楽”をしてしまうと、一人に戻ったときが大変。「ちょっとあれ取って」だけで済んじゃうのはリハビリ的にはあまりよろしくない。カラダ動かさないで済んじゃうよね。


全て一人でやってきたからこそ何でも出来るようになったんだなと。甘えのないスパルタ生活だからこそ出来上がったワタシの片麻痺生活なんだな。まー、今回は色々考えさせました。ネーサン的にも気持ちの変化があったようだしね。さてさてどうなりますか。療養期間中は外部と遮断、SNSや写真撮影も一切やめていた。する気力もなかったしね。


療養期間が開けてもそれは変わらずで、このままフェードアウトしてもいいかなーとか思ってたら、謎の電話がかかる。また都か医療関係かなーと電話に出ると。聞き慣れた?懐かしい声「なんかあった?」みたいなこと話したような気がする。「うん、コロナになってた」って。iPhoneの連絡先に登録してなくてメモに書いていたから表示されないわけだ。


その電話は蒼さんからでした。前触れもなく突然消えた感じだったので心配して電話をかけてくれたらしいのです。正直びっくりしましたよ。ここまで心配してくれるなんて思ってもいなかったので。Twitterで知り合いとはいえね。その後、めちゃ美味い羊羹送ってくれたし。ほんとありがとう。最近名前が変わったようなのでまた遊びに行かなくては。


とまぁコロナにかかったときにことを書いてみた。最近また感染者が増えてきてるみたいなので、気をつけないと。ワクチンは4回目も接種済み、副反応は注射を刺した場所が痛くなっただけ。インフルはかからんけど、コロナはかかったので次回も打つかもしれんな。もう二度となりたくないもの。あんな苦しい思いはしたくないですわ(;´Д`)

221208

ネーサン滞在記( ゚д゚ )

221101

無事にネーサンを送り出しました。おつかれワタシ(ヽ´ω`) 疲れはしたけど、その分、とても楽しい思いをしたのも事実なんです。前回からほぼ三ヶ月も開けてしまったので読む人は皆無かもしれませんけど、ぼちぼちと書いていこうと思います。自分の中で文章を書くことは言葉のトレーニングにもなりますので。それではやっていきましょう!


そうはいっても色々ありすぎて、思い出しながら書くことはほぼ不可能な状態…。もったいないね。覚えてることといえば、ネーサンが帰国できなくなった、私がコロナにかかったこととかが強く残っていまして、5帖半の同棲日記とかは間違っても書きませんのでご心配なく\(^o^)/ まー、どうしてこうなったのか、くらいは書き残そうかと。


もともと7月に海外に戻る予定だったネーサン。実際に帰る日も有休とってお見送りのため羽田に向かいました。夜の便だったので夕方には別れの予定でした。終わったなーと、今回は沢山楽しいことできたかなって。達成感はありました(前回参照)。空港に到着して早めのチェックインの手続きを始めるのですが…。しばらく離れたところで見ていると。


なんかすんなり行かずにネーサンとスタッフが何やら揉めている。近づいてどーした? と聞くと、お客様のパスポートでは戻ることができませんって言われたらしい。私には会話の理解は全くできずお手上げ状態。海外旅行だけならまだしも、働いてる人のことなんてわかるわけもない。じゃー、どうすれば行けるようになるの? と聞くと行けないとだけ。


ネーサンに聞くと、日本に戻る前に事前に弁護士に相談。一年ごとに更新する就労ビザの期限が残り一ヶ月後だったらしく、行って問題ないか確認済みだったらしいのです。しかも新しく届くビザも本国の移民局から申請が通ってOKとメールも来てたらしいの。だから武装理論は完璧なはずだったのよ。絶対に帰れると信じ切っていたわけです。


でも現実は甘くなかった。次から次へとやってくるグランドスタッフも上位互換され、窮地に立たされていくネーサン…。そこで私がポロッとこぼした言葉。「その弁護士信用できねーんじゃねーの」って言ったら、キレ気味にそんなはずないと怒られた(^_^;) でも出発時刻は迫ってくる。無理じゃね。この書類で行けるはずと食い下がるネーサン。


気がつけば、乗る予定だった飛行機は飛び立ち、スタッフさんたちはなんとか戻れる方法探してくれていました。問題だったのは就労ビザが残り一ヶ月では日本から出ることは許されないらしく、新しい次回分の就労ビザも持ってないと駄目だったらしいのです。なので審査も通って通達がメールで来てたとしても現物がなければ無理だったみたい?


正直、ワタシが正しいことを書いているかも怪しい。ちんぷんかんぷんなんだもん。スタッフとネーサンの会話のやり取りも早すぎるし、聞いても全く理解できなかった(T_T) なのでかなりアバウトなことを書いていますので、話半分でよろしくおねがいします。どちらにせよO-1ビザとかあまり聞き慣れないもの持ってるからこーなるんだ…。


観光ビザで戻るとかなんとかそんな話になっていたとき。時間は22時を過ぎ、こりゃ無理だなと、宿の手配を始める私。とりあえず弁護士叩き起こして、どうすればいいか聞きなさいよと…。最後の最後でこれはねーよなー…。ぐったりなワタシ(-_-) 帰国してすぐに泊まったホテルで無事に一部屋キープできた。あとはネーサンがどうするかの問題。


観光で戻るにしても持っていたチケットの払い戻しもできず(手配できないかはスタッフさんが確認してくれていた)。そして夏休み前のチケット代は数倍に跳ね上がっていたし。どちらにせよ無理なんだから宿戻ろうぜというと、NYの弁護士に連絡がついたみたい。流暢な会話をしている(^_^;) そして大きなため息が聞こえた。あ、終わったなと。

会話の内容はわからないけど、ここで完全に諦めたようです(´・ω・`) 聞けば観光ビザで一時的に入れたとしても信用に傷がつくからやめるべきだと。お前が行って大丈夫って言っただろうがーとは言わずに淡々とね。でもなんか知らんが納得はしたようです。弁護士も本人も勘違いしていたところがあったようで…。なんのための弁護士なんだよ…。


遅くまで尽力してくれたJALのグランドスタッフさん達にお礼を言って宿に向かう。やれやれ(ヽ´ω`) 私は次の日が仕事だったので一度自宅戻り、ネーサンは翌日実家(静岡)に帰ることになった。弁護士との話でアメリカ大使館にビザの発給手配を進めてもらうことになりはしたものの、最速でも3ヶ月程度かかるとかかると言われたらしく、翌日事情を話して実家に戻る方向になったわけ。あとは苦手な姉の家(実家)でどれだけ耐られるか。


ワタシはというと、このカラダになってからはじめて0時を回る。シャワーして寝るにしても1時過ぎ。翌日が辛いことに違いはなかったよ。翌日、無事実家についたと連絡が来た。まー一安心だったんだけど、姉の我の強さは半端ないので何日耐えられるか心配でした。多分無理だろうなと昼休みにハーヴェストの予約を取ることにした(^_^;)


案の定、あっという間にストレスマックスになったようです。実家はご両親が亡くなったあと、姉が一人で住めるように建て直していました。新しい家は行ったことはないのですけど、クリニックの入り口と住まいの入り口を分けているようで、大きなスーツケースを置くスペースもなく、ネーサンが与えられたのはリビングの僅かなスペース。


もちろんプライベートはない。ワタシがメッセージでやり取りしてると、誰から!?と聞き出そうとしていたようで…。あまり言いたくはないけど、色々と残念な人なんですよ。三姉妹で仲が良いのは東京に嫁いだ二番目と三番目のネーサン。一番目は自由に育てられたこともあって我が強すぎて、手のつけようがないという(^_^;) 終わってる…。


帰れなかった日が7月5日。就労ビザが未だに発給される気配は全く無い。先の見えない不安とか嫌だろうな。海外で働くっのてほんと大変だよな。業種にもよるのだろうけど。限界が近づきつつあるネーサンをリフレッシュさせるために、またしても熱海に連れ出した。今度は金曜日の仕事終えたその足で熱海で待ち合わせをしたのです。


お互いが一時間位で会える距離が熱海なんです。私は17時半定時で品川駅にダッシュ。19時過ぎに熱海に着きます。そして夕食は大一樓。胡椒麺にした海老そばとのぼせ海老にしゃぶりつきチューチューします(*´∀`*) マジうめーw 食事の後はタクシーでハーヴェスト直行。観光じゃないので。ただ単に温泉でゆっくり休んでもらいたいだけ。



金土日を使った二泊三日のお手軽旅。有休を使わず、会社に迷惑もかけずに旅行って素晴らしい環境だね。しかもリゾートホテルで部屋も広くて良い温泉だし、一泊5千円ちょっとで泊まれるし(*´∀`*) 案の定ストレスがピークだったネーサンをリセットさせることができてよかったよ。長女と末っ子だと、我感半端なくて辛かったようです。昔から。


ゆっくりできたのもつかの間。日曜にそれぞれ帰る予定でした。仕事で使ってたネーサンのMacBook。前から気になってたんだけど、充電されてない。電源ケーブル繋げたままにしないと使えないという、綱渡り的な使い方をしていた。バックアップ取ってある? と聞くとしばらくしてないという。大事な資料とか会社のPCに入ってるでしょ? まさか…。


よくそんなで大丈夫だなというと、こんな長く居るとは思ってなかったし、どうして良いかわからないし、と言う。MacBookはバッテリー交換ができるタイプだったのでひとまず安心。ただしばらく時間がかかるし、Time Machineでバックアップ取っておかないとイカンだろうし…。ちょうどM2のMacBook Airが出てたのでM1の整備品を探し出す。


10万ちょっとで買えそうだから、買ってやると言った。はじめはいいよと言っていたけどバックアップや電源繋げたままの状態でしか使えないことの深刻さを理解したらしく、何かあったら全部消えるとの脅し文句が効いたようで、買う方向で話が進む。整備品の問題が一つ、キートップが日本語で英語じゃない。ネーサンそれは嫌みたい。詰んだなと。


それなら新製品しかないと、アップルストアに在庫があるが電話する。電話してUSキーで在庫があるのはM2のシルバーで10コアGPUならありますとのことだったAirで20万か(T_T) 少し前の一斉値上げが効くな(T_T) 10万でプレゼントだったのだけど20万となるとこの後の状況を考えると心もとなく少し躊躇してると、私買うと言ってきた。


今日のこのあとすぐに買える条件で他に方法ががなければ仕方ない、買うわよと。それならとアップルストアで予約をし、チェックアウトを済ませて、新幹線に乗って銀座にダッシュした。事前にこのあと行くと伝えたにも関わらず、時間予約のことを言われてなかった。店に到着し、お願いしていたものを購入しようとしたら予約時間云々という始末。


おいー、こっちは何も聞かされてねーぞと。キレるおじさん…。30分後に来ていただければ対応できるというので松屋の屋上でうなぎパイをポリポリする\(^o^)/ 30分後ストア店員に注文していた機種を伝えると、在庫が無いと言い出す。ちょっと待てやと睨みつける残念なおじさん…。ちょっとまってくださいねーと、どこかへ消えた店員(~_~メ)


しばらくすると、すみませんありました。無いわけ無いですよねハハハ。こいつ…。こ○しかけたけど、グッとこらえる。アップルの店員ってこんな奴しかいなかったわと。なんだかんだで無事に購入。次に今使ってるMacBookからデータを入れ替えねばならず、一旦、我がオンボロ御殿に向かうことになった。よく考えたら凄いタイトなスケジュール。


MacBookからデータを外付けSSDに吸い出し、新型MacBook Airに移す。このたった一行の工程を2時間? 3時間位かかったかな。一通り動作を確認。新型早すぎて笑うしかなかった。非常に喜んでいました。そして品川駅に猛ダッシュ。姉が遅くなると不機嫌になるようで、急いで帰ることになった。ビザが発給されるまでの我慢だから仕方ないと。

思ってた以上に覚えてました。記憶力が無い代わりに写真を撮ったことで思い出すこともある。写真データの日付とカレンダー照らし合わせてどのような行動を取っていたのか、などなど。記憶力の代替をしまくればなんとか書けます。今回はここまで。コロナまで書きたかったけど、長くなりすぎた。次回は死にかけたおじさんの話です。多分\(^o^)/